挙式直前に父と関係して以来夫婦同然に愛し合い続けて(その1)
ああ、父さん
「父さん、私ね、安全日なの。この日を旅行に選んだのは、そのこともあったのよ」
「……」
黙って背中を向けて横臥している父に、
「いい寄ってくる男は、教授も含めて何人もいたけど、私は、キスもペッティングもしたけど、最後のところは誰にも許さなかったんだよ」
「……」
父の寝ている布団のすぐ横で、私がバスタオルを脱ぎ捨て全裸になったとき、
「……ッ!」
父を包んでいる上掛けが心なしか震えた気がし、次の瞬間、私はすべりこむように父の布団に背中からもぐりこんでいたのです。
「駄目だよ、奈々、これ以上は、父さん……あ、ぐ」
父がいい終わらぬうちに私は、片手を父の股間へすばやく運んでいました。浴衣の裾前のところから中へ手を進入させ、ブリーフの上から、思わず手を引っこめたくなるほどヤケドしそうに火照った怒張をワシ掴んでいたのです。
ぎゅうぎゅう握り締めると、
「やめ、て……やめてくれ、奈々」
「やめない。これで、この立派な父さんのもので大人のオンナにしてもらいたいの」
「な、なんというとんでもない……あ、おおっ、うむぐ、うう……」
私の手をどかそうとして、私の手の甲を掴みながら、父はまた浴室でのときのように、快感と興奮と欲情に崩れつつありました。
父の手の力が衰えたのを知り、すばやく今度は、その父の手を掴み、私の陰部に導いていたのです。
「い、いかん」
と引っこめようとした父の、じわりと汗をにじませた手を、ヘアーの茂みのところから、さらに心持ち股をひらいて、浅ましいまで濡れそぼってしまった花園を無理矢理さわらせていたのです。
「……ッ!」
父の肩がビクッと震え、私のそこのあまりの濡れっぷりに驚いた様子でした。実際、栓が引っこぬけたみたいに私の花唇はぐっしょりあふれていたのです。
……父の秘部接吻は、情熱的でこまやかでした。
単なる欲情からではなく、心のこもった、愛情に裏打ちされた舌づかい。
そのことを感じることができただけで、他の男たちとはランクの違う快感が私を包みました。
「ああ、いい気持ち。我慢できないの。お願い、父さん、そこをキスしてえ」
私が真剣にふるえ声で訴えると、とうとう父は折れてくれたのです。
「こんなことになるなんて……奈々、一回だけと父さんに約束してくれ」
「もちろん、約束する。ね、父さん、一回だけだから」
だって、処女喪失は一回しかありえないもの——とは口に出しませんでした。私のそこへの父の接吻は、情のこもった繊細さと多彩さにみちていたのです。
「ああ、ああ、父さん、腰がぬけちゃうくらいステキな気分よ」
もうそのときには、私は全裸のまま父の布団の上で、上掛けを打っちゃらかっていました。
亡母が見たら殺意すら抱きかねない、大股びらきで両膝を折り広げた放胆ポーズ。
「うっむ、むうむう」
父は、濡れた二枚の花びらの内と外に舌をいつくしむようにそよがせたり、一枚ずつ心をこめてしゃぶったり、ときには二枚まとめて吸淫しました。
「よいわあ、よいわあ、ああ、なんてこころよいの、父さん」
「むうむう」
父は、前後の急所のつなぎ目のところにもくちびると舌で入念に愛撫したり、花弁の上べりでふるえながら硬度と体積を増幅させている花芽には、格別に時間をかけて甘くねぶってくれたのです。
「ああっ、父さん、ごめん……あは、あはあは、ああっ、ははは、行っ、くううーッ」
父の両のホッペを内ももではさみつけて私は達してしまいました……。
正直にいうと、その瞬間は、「激痛」を覚悟していたのです。
それは、私が情報収集した回りの女の子たちの平均的データでした。
しかし、考えてみると、彼女たちの初体験の相手は、その多くが同級生とか少し上級生の、いわば同世代。
つまり、セックス体験はそう多くないか、相手も童貞か、童貞に近い男の子なのでした。
ベテランの父とは、比較の仕方が間違っていたのです。
「う、ん、むうう……痛くないか、痛かったら、ああ、やめてもいい、やめるからな」
いいながら父は、数ミリずつ、数ミリずつ、私の表情と濡れた粘膜の具合いをこまやかに観察する感じで、大きなあのものを私の中へインサートしてきました。
いま思えば、やはり父の亀頭は大ぶりで、ゴルフボール大くらいあった気がします。
それで最初、父のその亀頭をくびれの部分まで入れる=迎えるまでは、ちょっと時間がかかったのです。
時間がかかったのは、父が私の反応を見ながら、優しくていねいに私の身体を扱ってくれたからでもありました。
若い未熟な男たちなら、この場面で我慢できずに、女の子の心理も生理も無視して、一方的に突っこんでくるところでしょう。
しかし、父は違いました。
自分が先にこの世からいなくなったとき、一人娘の私の心のアルバムの中で、このときがどれほど大事なページになって残るのかということが分かっていたのです。
セックスは、相手次第で、そう悪いものじゃない……ううん、とても大切でステキなものなんだよということを教え残したいとでもいうような優しさと思いやりにみちたインサートでした。
現実的感覚としては、最も太い亀頭部分さえ納められたら、あとはスムースだったのです。
「痛くないか、大丈夫か」
「ああ、すてきだわ、父さん。予想外に痛くなんてない。ああ、ああ、ウットリしたくなるくらい」
「本当か。本当なんだな」
「本当だわ。だからゼンブを……ああっは」
根元まで父は私の中に沈めきると、今度は私の濡れた粘膜をまったり味わう感じで、ゆっくりとピストンに移行したのです。
長く待ち望んだ処女喪失。
私は幸福な初体験を、亡父によって知りえたのでした。
最後のセックス
二泊三日のあの旅行は、振り返ると、それはまるで新婚夫婦の熱愛ハネムーンといってもよかった気がします。
「一度だけ……」
口でこそ、そう互いに約束したのも束の間、あれを〝肌が合う〟というのでしょう、私と父はすぐにカラダの相性が合うことに気づきました。
あとで(一年くらいして)父にそれとなく聞いたところでは、私が独立するか結婚して家を出たあと、再婚を望む女性は複数いたようです。
それは未亡人の会社社長、クラブママ、女医さん等。父も、まんざらではなかったようですが、私と深い仲になり、彼女たちとの関係も流れてしまったみたいでした。
話を戻すと、旅行中、軽い旅館近くの散歩と食事以外、部屋の外に出ずに狂おしく愛し合ったのです。
それは私が、あの期間、幸運にも妊娠の心配がなかったからでした。
あるいは父と私の関係を、人間としての退廃の極みと指弾するかたもいるでしょうが、父も私も、妊娠だけは避ける理性はお互いに持っていたのです。
それにしても最初から、父も私も避妊具を用いない鮮烈なスタートを切りました。膣の中を父のもので、あふれるくらいどろどろにみたされる恍惚感。それは名伏しがたい歓びでもあったのです。
旅行から帰ってしばらくは、コンドームを使ってしていたわけですけれど、最初が鮮烈でしたので違和感が消えませんでした。
それで私は、やがて避妊薬のピルを愛飲することにしたのです。
現夫との結婚話を持ち出したとき、父はちょっとだけ淋しげな顔を見せましたが、すぐに、
「そのときが来たんだよ。さあ、今日からは、本当の父と娘に戻ろうな。楽しかった。楽しすぎた。幸せすぎた。でも、わが娘(こ)の幸せを願わない父親はいない。奈々の新たな人生の、幸せのスタートに乾杯!」
父とは三年弱、一般の夫婦以上の〝夫婦〟であった気がします。
新婚夫婦を三年間も、それは倦怠のケの字も知らずに過ごしました。
なにしろ、土日曜日の週末はむろんのこと(逆に週末は二回どころか、三回でも四回でも愛し合いました)、父の外泊出張や、私の社内旅行でよそに泊まるとき以外は、必ず一つ布団に入り、飽むことなど知らず、休みなく愛し合ったのです。
私が結婚を決意したのは、いつまでも父を縛っていてはいけないという判断からですが、結婚話を出して以降は、寝室を別にして父と私は暮らしていました。
けれど、翌日は挙式で、そのまま中国へハネムーンに出発する予定の前の晩、私のほうから父の寝室に飛びこんでいったのです。
舌が引っこぬけちゃいそうなインパクトにみちた熱烈キス、アゴがはずれやしないか途中で不安になったほどの烈しい相互秘部接吻、そのまま大量の口中発射……。
でも、あの最後の晩くらい、大胆なポーズでまぐわったことはありませんでした。父と向かい合っての騎乗位、そのまま背中をむけての女性上位、ドッグポーズ。
あのときほど痛感したことはなかったのですが、私は自分のその部分が、ウツワが、まるで父の勃起ペニスの鋳型(いがた)みたいになってしまっていることを感じました。
三年間というもの、ほとんど毎晩、父のペニスのみでまじわっていたためか、チツが父のあれの形そのものになってしまった気がしたのです。
そのくらいピッタンコだったわけですけど、逆に一方で、他の男性(夫)のペニスを迎えられるか心配になったくらいでした。
「初めて告白するが、奈々とは一番に相性が合ったよ。奈々と結婚する勇一くんは、本当に幸せ者だ」
「ごめんね、父さん。でも、これで父さんも自由。今後は、大いにプレイボーイぶりを再開していいのよ」
苦笑した父は、それまでの最高記録である七回目の射精を、七回目とも思えない強烈な勢いで私の中に放っていたのです……。
ねえ、お父さん、息子の俊一は、お父さんみたいにモテモテの二枚目くんになるかしら。
そうなったら、母親の私は心配で仕方ないわ。いっそ、悪い女につかまる前に、母親の私のものにしてしまおうかしら……?