「痛かったら言うんだよ、うむぅ」「委託ない、だから、ああ、お父さん、もっとぉ」時間をかけて徐々に私の中に入ってきた父。
亀頭をなんとか迎えると、処女なのに私のそこはスムーズに根元まで…。
(告白者)
小田桐奈々(仮名・27歳・主婦)
亡き父の思い出
次の週末に遊びにくる義父母から、覚えたてだというメールが携帯にあり、私もメールで返信したのです。
『……息子の俊一は、いまお昼寝中です。よく食べ、よく眠り、ウンチもいっぱいします。元気ですから、ご安心ください……』
俊一、と書いたとき、久しく忘れていたことを思い出しました。
俊一という名前は、亡父の俊彦の俊と、最初の子供でもあり長男でもある意味を兼ねて、夫の勇一の一の字を半分ずつもらったものだということを。
そろそろ梅雨に入るはずですが、郊外にあるこのアパートの二階の部屋の外に広がる緑豊かな、昼下がりの田園風景は、もう本格的な夏が到来したようなまぶしい光にみちていました。
洗ったばかりの真っ白いレースのカーテンを、開け放った窓から入る爽やかな風が音もなくくすぐるように揺らしています。
そのカーテンの手前では、世界の平和を祈りたくなるような息子の俊一の安らかな寝顔と平和な寝息がこぼれていました。
ハーブティーをいれた白いコーヒーカップから口を離し、それをテーブルに置いた私は、いま会社で熱心に机に向かって仕事をしているだろう夫が昨夜いった、
「俊一は、おれでもおまえでもなく、どんどんおまえのお父さんに似てくるなあ。こういうのを隔世遺伝というのかな」
という言葉をふっと思い出したのです。亡父は、俊一が産まれて間もなく、まるで孫の誕生を見届けたかのように、交通事故に巻き込まれ、四十二歳の若さでこの世を去りました。
「おお、ママに似て美形だぞ」
仕事の途中で、私が入院中の産婦人科医院に立ち寄り、産まれたてホヤホヤの私の赤ちゃんを見て嬉しそうな声をこぼしたのを思い出します。
夫は、人間的に尊敬できる、とてもよいひとですが、亡父みたいな男前とはいえませんでした。
「ふふ、私より、お父さん似の二枚目よ」
「お世辞でも嬉しいぞ」
「お世辞じゃないわ」
「冗談でも、勇一君の前でそんなことはいうもんじゃないぞ」
「ふふ、分かってる」
その数日後に亡母のもとへ行ってしまうなんて……。
過日、亡父の三回忌をすませましたが、父との思い出はいまもなまなましくよみがえります。
なぜなら、現夫と一緒になる直前まで、ずっと私は父と一緒に暮らしていたからです。
亡母は、私が小学校に上がるか上がらないかの、私がまだ幼い時期にあの世へ旅立ちました。
それ以来、約二十年間近くも、父は再婚もせず、私を短大まで卒業させてくれたのです。
一人の女として見ても、独身になった父を黙って放っておけるほど、多くの女たちが平静ではいられないような色男でした。
もっとも私も、大人になったいま、亡父が再婚はともかくとして、私の知らないところで、まだ幼い私を心配させたり不安にさせたり、傷つけたりしないように、上手に女の気配を私に気づかれないように巧みに遠ざけていたのかもしれません。
だって、亡父がどんなに清潔な男に見えても、男盛りなのですから、性欲というものも、恋愛したい気持ちも、そしてまたそのようなステキな女の一人や二人、父の近くにいたはずですから。
短大を卒業したとき、現夫と出会うことになる退社した会社に就職が内定していて、ちょうど亡父の誕生日も重なるので、両方のお祝いを兼ねて父と二人きりの、二泊三日の旅行をしたのです。
行く先は、あまり観光地としては知られていない海辺の温泉旅館。
旅館の前は海で、釣りをしてもいいし、気が変われば裏手は山間部なので、山歩きやサイクリングも楽しめる静かなところです。
旅行費用は、その日のために私が家庭教師のアルバイトでためてありました。
いま思えば、それまでの父への恩返しのつもりでしたことですが、父にはとても喜んでもらえたと思います。
でも、結局のところ、旅館の外へは、軽い散歩以外はほとんど出ませんでした。なぜなら……これからの話は、夫には永遠に秘密の、息子にも語ることなく墓場まで私ひとりの胸に仕舞って持ってゆく思い出です——。
泊まった旅館は、民宿などではなく、本物の旅館で、大勢が入る大衆浴場や家族風呂以外に、部屋の中にも内風呂がありました。
むしろ、内湯のあるところを、前もって私は選んだのです。
それは、少女時代にそうしたように、父と二人きりで入りたかったから。
そして、私の期待通りのドラマが、その内風呂の中で始まったのです。
最初のあの夜——。
駅からタクシーに乗って目的の旅館に着くと、予定通りにちょうど夕方。
早速、私と父は最初は広びろした大浴場で汗を流し、大広間でしたが食堂で、テーブルいっぱい並んだ新鮮な海の幸に舌つづみを打ちました。
前もって、父の好きな特別メニューも用意してもらっていたのです。
「すごいなあ。父さん、嬉しいよ。カンパするからな」
「ダメダメ。今回はすべて私のオゴリ。でも、あとでお願いがあるから、ふふ」
「なんだい、意味シンな笑いして」
「ヒ、ミ、ツ」
そう答えたとき、私はこの日まで処女でいた肉体のどこか奥深いところから、どぶっとなまあたたかいものがこぼれ出して下着をねっとり濡らすのを鮮烈に意識しました。
潜望鏡プレイ
めずらしいことかもしれませんが、その夜まで私は、キスもフェラチオも、ペッティングも、さらにはクンニリングスもひと通り経験ズミでした。
つまり、最後のペニスのインサート以外は、ほとんど経験していたのです。
写真で見る亡母ほどでも、また父ほどの美形でもありませんが、準ミスキャンパスに選ばれたこともありました。
近づいてくる男たちは数知れず、それで多くの性体験は、教授との関係も含めて、他の女の子たちより多かったでしょう。
ちょっとだけ指先を入れられちゃったことは一回だけありますが、あとはお互いの性器をいじり合う相互愛撫はしょっちゅうしていたし、フェラもクンニもわりかし好きといえました。
ですので、最後のクライマックスは、マスターベーションが中心。
もちろん、クンニ上手の教授なんかの場合は、そのまま昇りつめちゃうことはしばしばでした。
「小田桐クン、挿入させてくれないのはヘビの生殺しじゃないか。それは殺生だよ」
「じゃ、先生。お互いのアソコを見せっこしながら、ね、見せっこオナニーしましょ」
と、教授とは相互露出オナニーがもっぱらでした。
「私、結婚するまで処女でいたいの。処女はダンナにあげたいから」
ダンナは、本当は父のことでした。
大好きな新鮮な魚介類をおなかいっぱい口にして、しかも地元の銘酒の地酒も用意してもらい、父はご満悦で部屋に戻りました。
「こりゃあ、すごい大名旅行だ。奈々、破産したら父さんがカンパするから心配するな」
「いやねえ、父さんたら。まだあんなこといってる。今夜は父さんの誕生祝いも兼ねてるの」
「じゃ、奈々の頼みを聞こうか」
「待ってて」
「ああ、そう。じゃ、待ってる」
テレビをつけた父は、座椅子に深く座ってウトウトしはじめました。
そのあいだ私は、内風呂にお湯をためていたのです。
すぐに下着を換えたいほど、身体はびしょびしょでした……。
それから約三十分後。
なんとか困惑する父をだまくらかして内湯に入れ、気がついたときには強引に父をフェラチオしていたのです。
小学校四年の途中からですから、父とは十年ぶりの一緒の入浴でした。
向かい合って小さいバスタブに私が胸まで漬かり、俗にいう〝潜望鏡〟というプレイで、父の予想以上にたくましいこわばりをしゃぶったのです。
「奈々、もう、もうもう、これ以上はいかん。父さん、こんなことは……ああ、それ以上は、本気でどーかしてしまう」
腰を引っこめようとする父のお尻の下に、私は両膝を折り立て、つっかい棒にして支えていました。
「うっむ、うぐぐ、むうむう」
「もうもう、奈々、かんべんだよ。父さんとおまえは……」
「ぷはッ……この日をずっと待っていたの、父さん、私の処女は……初体験は父さんと、ってずっと心に決めていたの」
「馬鹿な……」
「馬鹿でもいい。これが私のたった一つのお願いよ……むむうう、むうむう」
「おおっ、た、たまらん」
ふくれきった王冠部のカサのあちこち、くびれ部分、そしてオシッコが出る先っちょの秘口を、すみずみにまで舌を情をこめて這いずらかせつつ、ホッペをふくらませたりヘコませて、ときには激しくディープスロートしていたのです。
しているうち、期待と興奮のあまり、クンニリングスでならともかく、フェラチオだけで初めて、目が回るほど強烈に気をやってしまいました。
あろうことか、その私のエクスタシーの表情に父も激しく心が動いたらしく、とうとう連射式に大量の濃い樹液を、私の口腔内へ勢いよく噴射してきたのです。
「奈々、駄目だ、父さん……ううーん」
父が下半身をガクガクさせて私の口中に射液するや、私は一瞬、意識がなくなるほど深く達していたのでした。
「……すごいわ、すごかったわ、父さん」
「なんということだ。なんという、おれは父親なんだ」
父は目をそらせて心苦しげにいいました。しかし父は、私の容赦のない積極的なアタックの前に敗北していたのです……。
先にお風呂から出た父は、すばやく浴衣に着換え、私がバスタオルで身体を拭き、バスタオルだけ巻いた姿で出てくると、二つ並んでいた布団を遠ざけていました。
そして、私の布団の方に背中を向け、顔まですっぽり上掛けで隠して拒絶の姿勢を示していたのです。
しかし、そんなことでひるむ私ではありませんでした。
なにしろ、一つ部屋で父と二人きり。父が別の部屋に泊まるといい出せばともかく、私は、だってこの日のためにずっと我慢してきたのです。
初めて白状すると、やっぱり教授なんかに一番感じるところをペロペロされたり、とくにクリトリスを上手にしゃぶられたりしたときには、自分からインサートされてみたい誘惑と欲望を何度、必死にこらえたことか。
なんとかこらえてこの夜を迎えたのは、父に感謝を示したかったからです。
父は私のためにいろいろと我慢してきたはずですし、お金の心配をしないで無事に短大を卒業し、就職も決まることができたのも、みんな父のお陰だと思ったからでした。