風呂場で丸裸になって祖父に口淫された母を…
「すごいすごい、すごすぎちゃう」愛液を溢れさせた母の粘膜は、ふくれきったおれの愚息を咥えこむと、ケイレンじみて激しく収縮し吸いこんでいた…。
(告白者)
小河原修一郎(仮名・24歳・フリーター)
父親が先立ち
早ばやと温泉から出て部屋にもどると、おれは旅行バッグを開けて、中から一ダース入ったコンドームの箱を取り出した。
封を切り、中から三つ出し、迷ってからあと二個を付け足して、合計五袋をおれの寝る敷き布団の、枕元の下に隠した。
隠しながら、すでに愚息が抗しようもなくキリキリといきまいてくるのを意識した。
しかし、二十歳も年上の熟女を相手に、五回戦など可能だろうか……。
そう心の中で問い、あわてて、
「朝まで時間無制限なんだ。五回といわず、コトと次第によっては、一ダース丸ごと使って愛してやろうじゃないか」
そう口の中でつぶやくと、パンツを突き破らんばかりに愚息が突っぱらかってしまっていた……。
母と温泉にくるのは何度目だろう。
温泉旅行が好きだった亡父は、おれが小学校の高学年になるまで、毎年、春と夏と暮れに連れて行ってくれた。
中学に上がってからのおれは、部活や受験勉強で一緒には行かなかったが、以降も父と母は年にして二回は大体が一泊で、二人で出掛けていった。
おれが大学二年のときに父は事故で急死したのだけど、だから逆算すると、母とは十二〜十三年ぶりの、それも母と息子二人きりの、つまり親子水入らずの温泉旅行ということになる。
今夜は、同居している小うるさい祖父の存在をいっさい気にする必要はない。
母も、久方ぶりの上げ膳、据え膳で、心から満足して嬉しそうだった。
いまごろは、ゆったりと温泉に漬かり、たまった垢もきれいサッパリ流し去っているころだろう。
祖父を施設に預けることについては、真面目な母は抵抗があったようだが、父に先立たれて以降、母は精一杯、祖父に尽くしてきたのである。
祖母は、亡父よりも十年以上前にあの世に旅立っていたからともかく、確かに祖父にとって、二人いる子供(父は二人兄妹で妹、つまり叔母は嫁いでいて健在)のうち、かけがえのない長男に、自分より先に死なれたことはショックだったろう。
ショックのあまり脳梗塞で倒れ、病院にいて亡父の葬儀には出られなかった。当時、ハタチになったばかりのおれには、自分のことと母のことしか頭になく、いまにして思えば病床祖父の悲しみの深さはいかばかりであったろうかと思う。
祖父は祖父で、父親の自分よりも先に、それも人生これからというときにピリオドを打たれた大事な息子の突然の死は、その現実を受け入れるのは筆舌に尽くしがたい辛さであったに違いない。
リハビリの期間をくぐって自宅に戻っても、祖父は半身不随の不自由を余儀なくされる身となって今日に到っている。
すでに会社をリタイアした祖父は、充分な年金生活に入っていたし、亡父の生命保険金や退職金、災害保障金などが支給されて当面、母も食うには困らなかった。
それで亡父の四十九日法要が過ぎると、今度は母には、義父(祖父)の介護が待っていたのである。
母の援助でなんとか大学は出たものの、おれには適当な就職先がない。
一年契約の仕事にありついたが、夢も希望も、それ以上に自分に誇りが持てない仕事では、二年目の契約をする気になどなれなかった。
高卒後、上京してずっと下宿していた都会での生活を捨てて郷里の実家に戻ってみると、祖父の介護でくたびれ果てた母のやつれた姿が待っていたのである。
いや、母の献身的な日々の姿以上にショックだったのは、母に対する祖父のセクハラだった。
思い出すと怒りが込み上げてくるのだが、正直に打ち明けると、何度かたまたま目撃したあられもない光景……と書いて、おれは自分にギマンを覚えた。
そう、なるほど確かに最初は偶然であったかもしれないが、途中からおれは、みずから意志して熱心にノゾいていたのではなかったか。
いや、しかも、身を乗り出すようにして途中から、夢中で母の、母と祖父との淫らな痴態をノゾき見ながら、おれは……そうだ、おれは一度ならず激しい手淫に溺れてしまったのである。
いつごろからかは知らないが、おそらくかなり以前から祖父は、母に無理矢理いやらしい行為を強要していたに違いない。
昨年末におれが実家に、荷物とともに越してきたとき、確かに亡父母の寝室にはなかった寝具が、夜になると押入れに納まっていたのである。つまり、母は夜毎、祖父の部屋で一緒に寝ていたに違いない。
もちろん、祖父は介護者用のシングルベッドに寝ているから、そこに母と一緒に寝るのは無理だろう。
しかし毎夜、同じ部屋に寝て、祖父は相当のセクハラを母に対して行い続けたのではなかろうか。
祖父は、母の介添えなしに、なんとか杖をついてトイレの用は自分でできたが、イザというときのために紙オムツをしていた。
だから、母はときには、というよりもしばしば祖父のシモの世話をしていたはずで……いくらでも淫らなことを母に強制するチャンスはある。
いや、あった。
あった。といま過去形にしたのは、祖父と母との上下の関係やセクハラを防ぐため、月のうち半分を介護施設に入所(宿泊)させ、残りの半月は、昼間は専門職員によるデイケアのサービスを利用することにおれがしたからである。
そのことによって、母は重労働とセクハラから解放された。
精神的な負担と苦痛から自由の身となった母は、見違えるように元気になり、若やいで、昔のような美貌を取りもどしたのである。
今日は安全日なの
「ああ。いいお湯だったねえ。サラサラしてやわらかくて、母さん、肌がツルツルになって、身体の芯まであったまったよ」
温泉からようやく部屋に戻った母は、嬉しそうにいって入口のドアの内カギをロックした。
そして襖戸を開けると、
「おや、修ちゃん、疲れた? もう眠っちゃったのかい……?」
いいながら戸を閉めた。
待ちきれずにピンピン棒をしごいていた片手を、おれはあわててパンツから出していたのである。
母がいったん、おれの頭の横を通って、昼間は海が眺望できる窓ぎわへ歩み寄る。横切るとき、シャボンのいい香りがぷんとおれの鼻腔を悩ましくくすぐった。
亀頭はすでに先走り液でぬらぬらである。あるいは、いやおそらく、母にはめて三コスリ半どころか、亀頭をはめただけでバクハツしてしまうのではないか。
そんな予感と不安を覚えたとき、
「ありがとう、修一郎。母さん、とっても嬉しい。それも二泊もできるなんて、母さん、感謝でいっぱいよ」
今度は洗面所のほうから声がした。
歯を磨いている。
母が風呂から戻る前に、手コキで一発ぬいておけばよかった……。
と後悔めいた気持ちがチラと起こったとき、ウガイし終えた母がおれのほうに近づいてきた。
洗面所のライトのみつけたまま、いったん壁ぎわのスイッチを押して寝室の照明を暗くする。おれが母の寝る布団とおれの布団の距離をなくし、くっつけたのを気づいたろうか。
気づいてか、気づかないでかは知らず、おれの枕元に立つと、浴衣の上の羽織を脱いで自分の枕元に畳んでいる気配がある。
と思ったら、
「修ちゃん、本当にありがとう。あなたが帰ってきてくれたことも、温泉旅行に連れてきてくれたことも、ありがとうがいっぱいよ」
いいながら母は、羽織の下のものも、どうやら下着も何もかも脱ぎ捨てて、すっぱだかになってしまったらしい。
むろん部屋には充分な暖房がきいていたが、思わぬ母の大胆な行動に、機先を制された気がした。
母はすでに、おれがタヌキ寝入りしていることはもちろん、おれのコンタンをとっくに見破っていたのである。
「今日は安全日なのよ、修ちゃん。今日もあしたも……この日を選んだのは、そのためなの」
わざとおれの耳元の近くで、シャックリでもしているみたいな震え声で母はいった。
いい終えるより早く、自分のではなく、おれの布団に母は、頭からからだをすべり込ませてきたのだった。
「……ッ」
おれが条件反射的に身体をこわばらせたのにもお構いなく、母は上掛け布団の中を這いもぐり、浴衣の上からおれの股間にやんわり片手を乗せた。
「ッ」
おれの下半身がビクンとなる。
が、母はためらうことなく、今度はその手の平で、おれののびきった分身を円を描くように甘くさすりたてる。
「く……う……」
こらえようとして、思わずおれの口からくぐもった呻きがこぼれた。
「……」
布団の中で母が何かを口にしたが、聞こえなかった。
上を向いたまま薄目をあけると、片目のふちに母のむき出しの白い下半身があり、シャボン臭が匂いたってくる。
いや、シャボン臭にまじって、心なしか蜜の甘やかな香りもミックスされてこぼれてくるのが分かった。
母がひどく興奮しているらしいと知って、おれの身体は一気にボルテージが上がり、全身が火照っていた。
その熱が伝染したかのように、熱っつくなった母の手の平が、おれの直立棒の〝原型〟に沿って這う。
這う、というよりも、コチコチ棒をさらに堅く、そして大きくさせるがごとくにさすりたてる。
(ぐぐぐ、気持ちがいい。このまま発射しちまいそうだよ、母さん)
快感を必死にこらえていると、ふいに母はおれの浴衣の裾を左右にはだけた。そして今度は、ブリーフの上のゴムのところからコンニチワと先っちょがハミ出そうになっているおれの分身を、棒だけパンツの前割れ部分から甘く掴み出していたのである。
掴み出したと思ったら、
「ああ……」
母はやるせない喘ぎをひとつこぼした。こぼしてからサオの根元をしみじみした手つきで握り締め、その熱度と硬度の感触を味わうように、五本の指でちょっと強く握ったりゆるめたりする。
のみならず、次いでサオの根元部分を上下にゆっくりしごきながら、
「嬉しい」
短くつぶやいてから、先走り液でぬらぬらになっているサオをぺろぺろしていたのである……。
口淫される母
母と祖父とのただならぬ関係を最初に目撃したのは、自宅の浴室でのことだった。
バイト先も決まり、翌週から働くことになった日の午後の早い時刻、予定が変わって帰宅したときである。
旧友と夕方から一パイやろうという約束だったのだが、友人が急に残業を命じられ、また今度ということになった。
母と祖父には、その日は遅くなるといってあったのである。
二人を驚かせてやろうと思い、小さな裏門から入り、忍び足で裏口に回った。
拙宅は、地方都市というより田舎の、それもうんと郊外にあり、敷地は広くて二五〇坪くらいはあろうか。
そのせいで建物は木造平屋の一軒屋。
安直ではあるが、敷地のぐるりは高いベニヤ板で仕切っていた。
それはともかく、ズボンのポケットからカギを出して裏口に回ろうとしたとき、
「早くしないか!」
祖父の怒鳴り声が浴室の締めきった窓から伝わってきたのである。
「……!?」
驚いておれは思わず足を止め、無意識にカギをポケットに戻していた。
そのときは、都会から帰郷してまもなく、祖父と母の関係など知らなかった。
当然、デイケアの介護士も頼んでいなかったし、祖父の入所手続きも頼んではいなかった。
それで、そのときは、祖父の虫の居どころが悪いのかくらいにしか最初は思わなかったのである。
祖父の怒鳴った相手は、母以外には考えられない。
家には祖父と母の二人しかいないはずだ。
祖父は、倒れて退院してから、兄弟や親類、知人とも会うのを嫌ったし、母もそれが自分の与えられた仕事だと覚悟して、他人に祖父の世話をいっさい頼んでいなかった。
「でも、お義父さん、なにも私まで一緒にハダカにならなくても……」
風呂場に近づいて耳をそばだてると、母の声がはっきり聴こえた。
「口ごたえするな!」
「はい。でも……」
「あのな、ワシはまだオトコだ。こんな身体になっても、心は〝現役〟なんだッ」
孫のおれの前で、祖父は自分のことを〝ワシ〟などといったことはない。
その言いかた自体が、二人の異様な関係を物語っていた。
そのものいいや、二人の会話自身もショックだったが、もっとショッキングなことが待っていた。
「ごめんなさい。分かりました……」
母の観念したセリフが続き、しばらくしてから、湯船のお湯が波だち、弾けるような音がこぼれて、
「あ、ああ……」
母の切なげな喘ぎ声がこぼれてきたのには、腰がぬけそうだった。
しかも、
「あッあッ、あはあは、いやあ」
声をカミ殺そうとしてこぼれる母のくぐもった喘ぎがさかんにサッシ窓の外にいるおれの耳に伝わってきたのである。
おれはいてもたってもいられない気持ちにおそわれ、気がついたときには、またポケットから家のカギを出し、息を殺しながら裏門から家の中へ忍び足で入っていたのである。
衝撃的な光景だった。
脱衣場の戸が少し開いていて、祖父と母の着衣、パンティとブラも床に脱ぎ捨てられていたのである。
それもなまなましかったが、浴室に続くガラス戸越しに祖父と母の、見てはならないショッキングな痴態が、それは曇りガラスにではあったが映し出されていたのであった。
「そ、そこ……ああっ」
「ええんか、むうむう、これが気持ちいいんかい、むぷむぷぷう」
「ああっ、ああっ……そ、それ、い、い、いいっ」
しかとは見えなかったが、全裸の母はバスタブのへりに両腕を乗せて上体を支え、湯船に漬かった祖父の顔の前で大股びらきになっている。
当然、母の股間はむき出しだ。
そのむき出しの母の股の付け根に顔を埋めた祖父の坊主頭の後頭部が、あごをうごめかすたびいやらしく動いている。
「あうーん、あうっあうっ」
祖父に陰部を、指とくちびると舌でジカにねぶられ、感じまいとして母は感じてしまっている様子だった。
それはそうだろう。
ジカに口で、あるいは口と指で攻撃されては、どんなに心で拒絶していたって、感じてしまわないはずがない。
しかも、浮気(とは、もう思わないが)なんかできない母には、外に男がいる気配はまるでなかった。
「ぷはっ……行きたいか、むうむう、むう」
「あはっ……行き、たい……あはあは」
母がむずかるように上体をくねらせ、切迫した喘ぎをこぼす。
やがて、祖父の熱烈なクリトリスしゃぶりが始まると、母は息もたえだえといった感じの声で、達する意味のことばを口走っていたのだった。
再び外に忍び足で出たおれは、車庫と外塀のすき間のところで立ったままズボンのチャックを下げ……シャワーのような大量の樹液を弧を描いて勢いよく吐き出していたのである……。