駆け落ちまでして結婚した旦那の浮気に失望し家出。息子のアパートに転がりこんだ母は、息子の雄々しい若茎の魅力に抗しきれず…
(告白者)
柴藤みやび(仮名・39歳・パート主婦)
初体験セックスで妊娠
夫が浮気したことがすべてのスタートでした。
相手が職業的な、乱暴ないいかたをすればプロの商売女だったらまだしも、私がよく知っている女だったのです。
しかも、このごろ帰りが遅いと思ったら、残業でも、接待なんかでもぜんぜんなくて、その私がよく知る女とホテルへ行って……考えるだけでも吐き気がくるような行為を夜ごと、というか毎週のように楽しんでいたのです。
一番信用できる友人にその事実を告げられたとき、
「まさか!」
思わず、そう口走ってしまいました。
第一、女と遊ぶような、そんなお金の余裕なんてないハズです。
食べるのが精一杯で、そのために愛する1人息子を大学に行かせることさえできませんでした。
息子は、担任の教師から、
「ぜひ大学に行くべきです。彼には才能もあるし、大学に行って上のレベルの学問を学ぶ価値のある優秀な生徒です」
奨学金制度のことも教えてくれたあと、さらに続けて、
「ここで頑張れば、彼は将来、日本にとって財産となるでしょう」
とまで付け加えて下さいました。
私も一時、なんとか入学金とか授業料を友人知人から借りて工面しようかと思いましたが、息子本人が、
「国立大学に入れたら問題ないんだけど、ぼくにはそこまでの力はない。浪人するわけにもいかないし」
といったあと、キッパリと、
「母さん、そこまで本気で考えてくれてありがとう。すごく嬉しいよ。母さんの気持ちがね。親父なんて、ハナから大学進学なんて考えてくれていなかったからね。でも、おれはもう決めたんだ。勉強は一生。もし働いて経済的余裕ができたら、そのときに改めて社会人入学したっていいと思うしね」
1つ年上の夫とは、好奇心につられて高校時代に初めてセックスしたとき妊娠してしまい、気がついたときには手遅れでした。
結局、両方の親の反対を押し切って、2人とも高校を中退し、家出までして駆け落ち結婚。
夫はなんの資格も、学歴もなく、ほとんど日雇いから出発して四畳半一間の安アパートでの暮らしを始めたのです。
17歳の夏。初めてのセックスによって私は10代の早過ぎる母親となりました。
息子と禁断の実を食べ
なんとか頭金をためて中古マンションを買ったものの、まだローンはかなり残っています。
週に1、2度、安酒場で一パイやるのがせいぜい夫に与えられた範囲です。
そう思っていたのが、実は夫のご両親が生前贈与で、夫に1千万円近くの財産分けを今年になってしていたのでした。
そのことはあとで知ったことですけど、そのお金があれば家のローンの残金をきれいに払え、息子の大学進学だって可能となったのです。
私は、若かったとはいえ私と夫が自分の責任で招いた苦労を、愛する息子を授かったことで少しも苦にならなくなっていたのです。
最初は、きれいな服を着ていい車に乗り、一軒家に住んでいる同級生の友人や知人をうらやましいとも思いましたが、私は夫に精一杯大事にされていると思い、また心優しい息子を持てたことで十分に幸せを感じていました。
自分でいうのはアレですが、いまでも街を歩いている男たちに誘いの声をかけられることも一度ならずあります。
中学時代はもちろん、高校のときも私は男たちのアイドル的存在でした。
顔もスタイルも、いまだってそのへんの若い娘に負けないと自分では思っています。
この半年近く、夫が残業や接待などで忙しいと思い、忙しいのは会社に認められ、評価されていることだと思っていました。
だから……だから私は、この半年ばかり急に夫が私のからだを求めてこなくなったのは、いま述べた仕事やおつき合いの多忙のため、それは良いことなんだから、少しくらいおんなの部分を我慢することも必要だと自分にいい聞かせてきたのです。
それも、息子が大学受験をあきらめてくれ、地元じゃわりとしっかりした企業に就職でき、卒業後の1年間こそ自宅から通いましたが、貯金して、立派なことに2年目から独立したのです。
家を出て、歩いても行ける駅近くでしたが、アパートを借り、自活を始めたとたん、夫はまた熱心に私を抱いてくれるようになりました。
それは、最低でも2日置き、平均して1日置きくらいの、中年にしては驚くような熱心さでこの3年間はセックスをしまくったのです。
それはまるで新婚時代のような情熱の注ぎかたで、1つにはもちろん息子の目と耳がなくなって、家の中では気にする者がなくなったからです。
それと、もう1つはお金がなかったので、夫は外でいろいろ遊ぶ余裕がない。
だから早く家に帰ってきて、お風呂も食事もサッサとすませ、息子がいるときは早くても夜の11時くらいの就寝だったのが、息子が家を出てからは、早ければ8時半、夫婦で愛し合うときは、遅くたって夜の9時には布団の中に2人は入っておりました。
その3年間(最後の半年間のみ別にして)の前は、いつも息子の目や耳を気にして味けないセックスでした。
率直にいって、排泄のようなものでもあった気がします。
なぜって、私が快感を噛みしめ味わいたいと思ったときには、もう夫はフィニッシュを迎えていたからです。
そうなると、セックスはむしろ苦痛で、夫の味もそっけもない射精のためだけに抱かれている気がして苦痛でした。
その長い期間は、息子が小学校の4、5年になり、もう夢精も始まっていたのを洗濯で彼のパンツを洗うときに見て気づいていましたが、ですから息子が10歳か11歳のときから19歳まで……つまり、10年近くも私は、単に夫の排泄器官、快楽の道具でしかなかったのです。
それが一転、この半年間を除く、正確には2年間と半年近く、私は30代後半になってからきわめて充実した女の歓びに生きてきたといえるでしょう。
それなのに夫は、実はその半年ほど前に義父母から大きなお金をプレゼントされ、あろうことか、仕事のためだと辛抱していた私を裏切り、息子のことなんか考えもせず、そのお金をすべて、他の女との快楽に使っていたのです。
私が知るその女との許しがたい熱烈な交悦……。想像すると嫌悪感が、また嫉妬や敗北感までもが私を押し包んできます。家を出て息子のアパートに転がりこみ、禁断の実を食べたのは夫のせいでした。
母さんのスッポン口だ
……それは深夜、男の呻き声を聞いた気がしました。
昨夜、夫が私に帰ってきてくれと泣きついてきたのが頭のすみに残っていたのかもしれません。
身の回りの物だけ持って息子の狭い2DKのアパートに転がりこんだのは1週間くらい前でした。
夫はしばらく放っておく気でいたのですが、夫の母親、つまり義母が偶然拙宅に訪ねてきて、夫も隠すことができずに私との別居がバレました。
夫はともかく、義父母はものすごく世間ていを気にする人たちです。
世間が助けてくれるわけでもないので私は世間ていなど二の次三の次なのですけど、彼らは違います。とくに親類の目を気にするのです。
それで夫は仕方なく、隠していた生前贈与の話を切り出して、半分は家に入れるから帰ってきてくれと息子のアパートにやってきて哀願しました。
しかも、卑怯にも、その額を半分に落とし、500万もらったから半分強の300万を家に入れるといいました。
あとでそのウソを知り、再び怒りが込み上げましたが、夫が昨夜きたときは、その生前贈与のお金の話もそうでしたけど、私は浮気がなによりも許せなかったのです。
正直に打ち明ければ、2年半くらいは新婚時代みたいに熱烈に愛してくれ、そのために私は、あとの半年間はしてもらえないことが苦しくて、苦しくて、いま初めて白状するのですが、10代、20代のときでさえほとんどやったことがないオナニーを、夫が仕事に出かけてから、また夜、夫が疲れて(仕事でと思っていたのが、浮気の情事で……こう書くとまた怒りが込み上げます)泥のように眠ってしまった横で……。
辛く、そしてみじめでした。
でも、夫と私のためだと、オナニーで必死に半年間、情欲を処理しるづけていたのです。
いま思えば、誘われるままにいろんな男に抱かれていればよかった……。
そんなおもいがあったからでしょう、夢かと思ったら現実でした。
「う……うう……うっく、っうう……」
襖戸ひとつ隔てた隣りの息子の部屋から、それは息子の苦しげな、それとも切なげな呻きがかすかに私の耳にこぼれてきたのです。
息子も、私の話により、薄情な父親の浮気にすっかり愛想をつかし、
「母さん、あんなヤツのところになんている必要ない。おれのこのアパートでよければ、いつまでもいていいから」
といってくれました。
息子は、好きなひとはいるが、まだ一方通行なので恋人はまだできていないとのことでした。
(どこか具合でも悪いのかしら……)
本当にそう思い、心配ですっかり目がさめてしまった私は、のっそり起き出すと、這って襖戸に近づき、そっと静かに戸を開けました。
そして、息子がパジャマズボンとブリーフを脱ぎ去り、下半身をさらけ出したあお向けの格好で狂おしい自己マサツを手で果たしているあられもない、そしていまの私には刺激的すぎる姿を見てしまったのです。
(秀紀、おまえ……知らなかった)
私はそのとき、自分のことばかりで、性欲まっサカリの息子の苦労など気にもかけなかった母親としての自分を恥じました。
息子を強くいとおしむ気持ちと、母性愛、そしてたまっていた欲求不満が噴火のように込み上げました。
「わっ、母さんッ」
と息子が奇声を発したときには、私は息子の手をどかし、上下の唇をすっぽりカサからかぶせておりました。
このごろになって息子が、
「母さんの口って……ふふ、スッポンを連想させる、すごいよ、すごくいいよ」
と冗談めかしていうワザを、そのときはただ、夫に見せびらかせてやりたいといった暴力的な気持ちで、
「ひッ、いいッ」
と息子が女みたいな黄色い声を快感のあまり発するくらい情熱的に、そして情をこめてくるめかせていたのです。
あの夫婦生活が充実していた約2年半の時期、前戯よりも私と夫は結合主義というか挿入中心でした。
従って、息子にしてあげるような濃密な、手指と口による愛撫をこんなに熱心にしたことはありませんでした。
根元をソフトに、でも激しくしごきたて、棒のあちこちに舌とくちびるを熱烈にふるい、そよがせ、なめ回しただけでなく、俗にいうディープスロートも抵抗なくしてあげられました。
「ああっ、うあっ、母さん、強烈だよ、ううーん、うう、うう、たまんないッ」
息子が声をひきつらせ、腰をぶるぶる震わせる姿が私の脳を痺れさせました。
息子の興奮の炎が私に伝染し、いつしか私は、予期しなかった初めての官能体験に身を焦がしました。
それは、ペニス挿入も射精もまだ果たされていない口唇愛撫だけによって、気が遠くなるような絶頂に到ったことです。