夫婦の契りを結んだ実の娘と故郷を捨てて2人で駆け落ち…(その1)

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新聞記者だった私は今、故郷から遠く離れた土地で娘と2人で居酒屋をやっている。現在のような境遇に至ったいきさつとは…。

(告白者)
石原道雄(仮名・52歳)

訳ありの二人

「いらっしゃい!」
いつものことだが、お客がやって来ると、ホッとする。店を開ける時、今日は1人もお客が来ないんじゃないか。そんな不安に苛まされるから、開店早々にお客が来ると、嬉しくなってつい大きな声を上げてしまうのだ。
カウンターだけの小さい居酒屋を始めて2年。何人かの常連客もついたが、ここまで潰れずにきたのは、人件費がかからないからだ。私と娘の2人きりでやっているから、給料を払う必要がない。これは大きい。
娘は26歳。しかし、常連客は私たちを父娘とは思っていない。夫婦だと思っている。私たちも夫婦で通している。私は52歳だが、童顔なので40歳前後にしか見えない。だから、夫婦と言っても怪しむ人はいない。
それに夫婦で通していられるのは、私たちが故郷から遠く離れた土地で開業したからでもある。2年前まで私は地方新聞の記者をやっていたのだが、娘と2人きりで暮らすために、故郷を捨て、居酒屋の親父になったのだ。昔から料理が得意で調理師免許を持っていたし、酒も好きだったので、新聞記者から居酒屋の親父に転身するのは訳もないことだった。開業資金は実家を売り払って作った。昔から病気がちの女房は入退院を繰り返し、4年前に亡くなっていたから、実家を売り払うのには何の問題もなかったのだ。
私と娘が男女の仲になったのは、娘が17歳の時だから、もう9年にもなる。普通の夫婦でも10年くらい経てば、マンネリに陥り、セックスも間遠くなると思う。しかし私たちは今でも週3日はベッドを共にしている。
店を閉めると、私たちは2階の住居スペースに上がり、店の残ったつまみで軽く一杯やる。それから風呂に入るのだが、今でも一緒に入っている。
一緒に湯船に浸かると、娘は必ず私の男根を握り、キスをおねだりする。その仕草がとてもいじらしく愛らしいのだ。
「道雄さん(娘は私を名前で呼ぶ)、今日もお疲れ様。立ちっぱなしで疲れたでしょ」
「千春だって、ずっと立ちっぱなしじゃないか。同じだよ」
「でも私はお客さんの相手をするだけだから、そんなに疲れないわ。道雄さんは料理を作りながら接客もしなくちゃいけないから……」
「もう慣れたよ」
「私、今日、凄く燃えてるの。これから大丈夫?」
「大丈夫に決まってるじゃないか。さあ、上がろう」
バスタオルで体を拭き合った後、私は小柄な娘を両手で抱き上げ、ベッドに運ぶ。
「千春は10代の頃と全然変わらないね。肌はスベスベだし、乳首も桜色だ。おま○こも綺麗だし……それに比べて、俺は老けたよ」
「そんなことないわよ。道雄さんは今も若いわ。ああ、道雄さん、そこ、そこが気持ちいいの」
私が乳首を吸うと、娘は恍惚の表情を浮かべる。
乳首からヘソ、陰毛、そしてヴァギナに舌を這わせると、娘の嬌声が大きくなる。
「道雄さん、ああ、そこそこ……」
「そこってどこだい?」
「道雄さんの意地悪。おま○こよ。おま○こが感じるの!」
私が体を反転させて男根を突き付けると、娘は愛おしそうに頬張り、サオに軽く歯を立てる。
「全然老けていないわ。道雄さんのこれ、以前と同じように固いわ」
「美味しいかい?」
「美味しいわ。道雄さんのこれ、最高に美味しい!」
9年経っても、私たち父娘は新婚夫婦のように情熱的に愛し合っているのだ。いや、新婚夫婦のようにじゃない。私たちは実際に夫婦の契りを交わした仲なのだ。

娘と夫婦の契り

故郷を捨て、現在の土地に越してきた時、私たちはカトリックの教会で密かに結婚式を挙げたのである(私たちはキリスト教徒じゃないが、離婚を禁止しているカトリックは私たちにとって、最も似合っていると思ったのだ。もちろん、父娘であることを隠しての結婚式だった。
今、私と娘の千春は幸福の絶頂にあると言っても過言ではない。小さいながらも自分たちの店を持ち、常連客には夫婦と認知され、夫婦仲も殊の外いい。精神的にも肉体的にも充たされている。
「26歳でこんなに女の悦びを感じることができるんだから、私みたいに幸せな女はいないわ」
千春の口癖だけど、私だって千春みたいにイイ女(見た目だけじゃなく性格も最高)を妻にし、その芳しい肉体を飽食しているんだから、どんな男よりも果報者だと思っている。
しかし、ずっと幸福感を感じてきたわけではない。千春を愛する気持ちは今も昔も変わらないが、以前の私は罪悪感に苛まれることもあったのだ。
私は大学を卒業後、地元の新聞社に入社し社会部の記者になった。
社会部は事件を扱う部署だから、様々な犯罪の裏面を取材する。それで驚いたのは、ドメスティックバイオレンス、つまり、家庭内暴力が動機の殺人や過失致死事件が異様に多いことだった。そして、これが肝腎なことなのだが、家庭内暴力の3割程度は近親相姦に根ざしているのだ。
母と息子の関係が父親に発覚、暴力を振るう父親に逆上した息子が反撃に出て父親を刺殺。
父親が娘を強姦して関係を強要、その関係に耐えきれなくなった娘が父親を撲殺。
例を挙げたらきりがないが、新聞紙上に近親相姦が原因と書かれることはない。新聞社が自主規制してしまうからだ。近親相姦は新聞社にとって、タブー中のタブーなのだ。
しかし、警察関係者や我々事件記者は知っている。他の記者のことは知らないが、近親相姦の体験者であり、娘との関係を断つことなく記者を続けていた私にとって、そういう事件を取材するたびに考え込んでしまい、罪悪感に苛まれたのである。
母子相姦が発覚したことで夫と争い、殺人を犯してしまった女受刑者から手紙を貰ったこともある。
彼女は教師で、私の母と同じ年だったこともあって、私はその事件に深く関わり、その受刑者の信頼を得ることになり、手紙をやり取りする間柄になったのだ。
彼女の手紙の一部をここに掲げる。
『教師だからってセックスに淡白だとは限りません。というより、教師は一般の人よりもセックス好きと言っていいかもしれません。現に職場不倫している教師は枚挙にいとまがありません。かくいう私も同僚教師と不倫していました。夫とずっとセックスしていなかったので、欲求不満がつのり、私の方から誘惑して秘かにセックスする関係になってしまったのです。でも彼とは3ヶ月くらいで別れました。彼が私との関係が明るみになるのを恐れて、誘いに乗らなくなったからです。
以来、セックス処理ができなくなり悶々とした日々を送っていました。オナニーをしたこともあります。
そんな時、体育用具室で生徒同士のセックスを目撃してしまったのです。2人とも私の受け持ちではなかったけど、名前は知っていました。A男がB子のスカートをまくり上げ、立ったままバックからハメ合っていたんです。Aの逸物はビックリするくらい太くて固そうでした。私がヴァギナを濡らしてしまったのは言うまでもありません。
翌日、私はA男を進路指導室に呼びました。パンストとパンティは脱いでいました。椅子に座り、私は脚を組み、それからゆっくりと組み替えました。
「昨日、見たのよ。あなたがセックスしているのを……」
A男は顔面蒼白になって、その場に固まってしまいました。私はそんなA男の前に跪き、ズボンをずり下げてやり、フェラを始めました。しごきながら先端を咥え、激しく吸って舐め上げ、それから思い切り根元までしゃぶり付きました。
ピクピクとペニスが脈動すると、口を離しました。
「先生、僕、もう……」
「ダメよ、まだ。私はもっとしゃぶっていたいんだから」
私のようなオバサンが男を夢中にさせるには焦らしながらフェラするに限ります。
「僕、もうダメだよ……」
A男は悲鳴に似た声を上げました。同時にザーメンを放出してしまったのです。もちろん、私は一滴残らず飲み干し、飲んだ後もしゃぶるのをやめませんでした。
「せ、先生……」
「昨日みたいに立ったままバックから入れてよ」
私はしゃぶるのをやめて、A男の前にヒップを差し出しました。
「さあ、奥まで入れて。カチカチのチンチンを一気にぶち込みなさい!」
A男の渾身のピストンに私はあっという間に昇り詰めてしまいました。
このことがキッカケで私は教師どころか人としてやってはいけないことをしてしまったのです。
教師になって18年、結婚して17年、波風の立たない平穏な生活を送ってきたのに、それも夢と消えてしまいました。中3の息子とセックスしてしまったのです。
生徒のA男とセックスしてから私は息子のことも男として見るようになりました。
息子は私と同じ中学に通学しているのですが、成績優秀で性格も明るく、スポーツ万能。そんな子だから女生徒にも人気があるのですが、彼女はいないようです。
ある日、夫が出張中で私と息子が2人きりになった夜のことでした。私が風呂に入っていると、息子が突然入ってきたのです。
裸でした。小学4〜5年の頃までは一緒に入っていたけれど、小6の頃からは一度も一緒に入ったことがなかったから、私は仰天してしまい、「バカ、何考えてるのよ、あっちに行きなさい!」
と怒鳴ってしまいました。
しかし、息子は私の叫びを無視してこう言ったのです。
「母さん、僕、知ってるよ。母さんが石田先生とエッチしていたこと」
息子の一言にショックを受けた私はその場に固まってしまいました。すると、息子は私の身体に抱き付き、それからオッパイに顔を埋めてしまったのです。
「バカ、何するの」
私は再び怒鳴ったけれど、息子は乳首に吸い付き、下半身にも手をあてがってきたのです。
「母さん、僕が石田先生の代わりになってあげるよ。石田先生と別れて寂しいんだろ」
どうして息子が同僚教師のことを知ったのかは分かりません。ただ私が生徒と関係したことまでは知らないようでした。ともあれ、息子は私の乳首を吸い続けたのです。
「バカ、だめぇ……」
私は拒否の言葉を口走ったけれど、息子を押しのけようとはしませんでした。乳首を吸われ続けて感じてしまったのです。
「ああ、だめだめ……」
「母さん、感じてるんだろう。気持ちいいんだろ。でも、こんなのは序の口だ。もっと感じさせてやるよ」
息子は私の後ろに回り、ヒップを抱えました。そして双丘を割ってワレメに舌を這わせたのです。
「ああ……」
「母さん、濡れてるよ。グチョグチョになってる」
自分でも分かりました。息子に性器を舐められて愛液を垂れ流している……そう思うと、これまで体験したことのない激烈な快感がこみ上げてきました。
ヒップを激しく振り立てると、息子は舐めるのを止め、ヒップに勃起したペニスをあてがい、「母さん、入れるよ」と宣言し、ズブッと挿入してきたのです。その瞬間、私は人の道を外れてしまったと思いながらも、「ああ、いいわ」と歓喜の叫びを上げてしまったのです。
その日以来、私は夫の目を盗みながら息子とセックスすることになったんですが、夫に見つかってしまったのです。日曜日の昼下がり、私が息子のペニスを咥えている時でした。ゴルフに出掛け、帰宅は夕方になると言っていた夫が突然現れ、「お前ら、なんてことをやってるんだ!」と怒鳴り散らし、私と息子を足蹴にしたのです。
弁解のしようがありませんでした。出て行け、離婚だと言われても仕方がないと思いました。しかし、夫は離婚を切り出すことはありませんでした。その代わり、連日のように私と息子に暴力を振るい、そして、あろうことか、息子の前で私を犯したのです。我慢の限界でした。暴力を振るわれるのは仕方がないとしても、息子の前で犯すなんて……。犯された後、私は台所に飛び込み、柳刃包丁を手に取り、全裸でソファの上に横たわっていた夫を刺したのです』
この事件は夫の家庭内暴力に耐えきれなくなった女教師ということで報道され、近親相姦に関しては一切触れられなかった。
もちろん、検察の論告求刑にも母子相姦という文字は一言も記されていなかった。裁判は情状を酌量されて懲役8年で結審した。
彼女は息子のことに触れている。
『受刑を終え、綺麗な身になったら、息子と2人で暮らすつもりです。息子もそれまで待ってくれると言っています。業の深い母子だと笑って下さい。でも私には息子しかいないのです。息子にも私しかいないのです。近親相姦を犯した母子は地獄まで一緒に堕ちていくしかないのだと思います』
地獄まで一緒に堕ちていくしかない。私にとって、何も増して身に染みる言葉だった。
我が身に振り返ってみて、私は幸運だった。
私たち父娘も女教師親子のように女房の目を盗んで関係を続けていたのだが、前述したように、病弱な女房は入退院を繰り返していたので、私たち父娘の関係が発覚する怖れはほとんどなかった。
しかし、もしバレて女房が私たち父娘を罵り刃物を持ち出したら……他人事とは思えなかった。そして、女房への申し訳なさが急にこみ上げてきた。しかしそれでも私は娘との関係を断ち切ることができなかった。私には娘しかいなかったし、娘にも私しかいなかったからだ。
女教師はすでに受刑を終え、シャバで生活している。手紙のやり取りは2年程度で終わったので、現在どうしているのか分からないが、私たち父娘のように息子と2人きりで暮らしているに違いない。

夫婦の契りを結んだ実の娘と故郷を捨てて2人で駆け落ち…(その2)へ続く

マダムの浮気癖

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