一晩と置かない三年間続いた肉愛(その1)

今すぐ過激なテレホンSEX

夫を見送った妻はその後息子と夜ごと乳くりあい…

最初のころなど息子は「辛抱できない」といって五回も六回も挑んできて、行きすぎて疲れて眠ってしまった私の中にも進入させて…

(告白者)
中節子(仮名・52歳・専業主婦)

息子との毎晩の情事

上野駅を出るときに夫がお弁当と一緒に買ってくれた缶ビールを半分ほど飲んだのがきいたのか、けっこうウトウトしたようです。
それは夫も同じで、目を開けて首だけ少しひねると、夫の穏やかで品のいい寝顔がすぐ私の横にありました。
夫、といっても、彼は正式にはこの日から私の夫となるんです。
お互いに再婚同士。結婚式はあげずにただ二人で役所へ結婚届けを持っていっただけですが、お互いの近親者のみ招いてささやかな小宴を持ちました。
人数のバランスを考え、お互いの血のつながった親や兄弟姉妹と子供だけ。兄弟姉妹の連れ合いや、その子の甥や姪、また孫も呼ばず中華料理店で小さな披露宴を私と夫の主催で行ったのです。
もっとも、私には子は息子しかおらずしかも息子は28歳の独身で、だから私にはまだ孫はいません。
夫の三人の子供と私の息子のみ私たちを上野駅まで送ってくれました。
首を反対側にひねると、無機質なビルが林立する都会の風景と打って変わってのどかな東北の田舎風景と、それを遠く囲むように紅葉の始まった山の連なりが車窓に次々と映ってきます。
そののどかな田園風景の中から、ふっと息子の秋彦の人なつこくシャイな顔が浮かび上がりました。
「行ってらっしゃい、行ってらっしゃい」
上野駅のホームから新幹線がゆっくりすべりだすと、夫の三人の子供たちは思わず小走りに駆け寄ってきましたが、息子は身動きせず彼らの後ろでただにこやかに片手を振っていました。
一昨夜、めずらしく私の腕の中で甘えるようにして、
「母さん、おれはサヨナラはいわないよ」
といっていた通り、行ってらっしゃいの言葉とともに笑みを浮かべ手を振るだけでしたが、彼の目にはうっすらと涙が光っておりました。
つられて私も熱いものが込み上げましたが、夫に悟られるまいとして、
「お店で済ませてくればよかったのに、ごめんなさい、ちょっとおトイレ」
「ああ、お疲れさん、ごゆっくり」
優しい夫は気づいていたのか、気づかないでか、さりげなく応じていました。
他にも再婚の話はありましたが、私が彼を選んだのは、妙な話かもしれませんが、彼の紳士なところと誠実さ、それからふとデートのときに見た彼の眠っているときの寝顔でした。
デートはいつも昼間で、あれは昼食のあと一緒に映画を観に行ったときのことでしたけれど、ふと見ると無防備で平和な、そして可愛らしい寝息をこぼしているときの彼の寝顔の品が良かったのです。
私よりひと回り年上で63歳の彼は、ある中堅企業の部長職にあり、60歳で退職する気でいたのが、社長に請われて後進の指導に当たっていました。
「もう私なんかお役目ご免だと思うんですが、どうも若い者ばかりだと社長も淋しいらしくて、たまに愚痴をいう相手がほしいんでしょうな……」
「ご人徳ですわ」
「いや、とんでもない、はっはっは」
笑いかたひとつとってみても、どこか気品がありました。
正直に打ち明けると女は、いや私に限ったことかもしれませんが、見合いの席で私は今後、普通に考えたら毎晩、相手と一緒に寝ることになることについて想像しないわけにはいきません。
息子との連夜といってよい激しい情事を知ってしまった私は、難病に苦しむ夫を五年にわたって介護し、夫を見送ったあとの三年間、それまでそんな世界が存在したのかと驚き、そして喜悦しっぱなしだったものですから、なおのこと見合い相手を慎重に“品定め”していました。
夫が病いに倒れた五年間、それまで私を誠実に愛してくれた夫の恩に報いるためにも、そして夫との愛の結晶である息子が一人前の人間に育つまでという気持ちで私は、女の情念を封印したのです。
そのことになんの悔いもありはしないし、むしろ経済的には兄弟姉妹に借金するなど大変でしたが、夫の看病を尽くす私の背中を見て育った息子は我慢や人間の情や情愛について、期せずして大いに学んでくれた気がします。
後半はほとんど会話もできなくなっていた夫の食事やオムツの世話までも文句ひとついわず、そしてどこか突き抜けた私の乾いた明るさも息子にとっては学ぶべきものが多かったみたいでした。
むろん私は妻として、人間として本分を尽くしただけであり息子の目は少しも意識していませんでした。
息子は名門私大の理工系に学び、奨学金と、夏休みや春と冬の休みに集中的にアルバイトして自分の学費を立派に稼ぎ出して卒業してくれたのです。
地元の最も有力企業に就職しエリートコースを歩み出してはいましたが、家計を助けるためにインターネットを使ってさまざまなアルバイトを見つけては、
「給料よりアルバイトのほうがいい稼ぎになるよ」
就職して二年足らずで、私が兄弟姉妹から借りたお金を返済してくれました。
お金はむろん有難かったですが、息子の父と母を気遣ってくれるその思いやりがお金よりも涙が出るほど嬉しかった。
「あんた、秋彦は立派に育ってくれたよ。いま初めて告白するけど、私らの借金もね、秋彦が二年で完済してくれたわ」
もう口が聞けなくなっていた夫はうーうー唸り、言葉の代わりに両目をカッと開いて大粒の涙を流しました。
そして、とうとう夫を送り、49日を過ぎてから間もなく、のっぴきならない息子とのただれるような不らちな関係が始まりました。それは後述することにして、私が未亡人になってから言い寄ってくる男たちはかなりいました。
もうそのときには息子との捨てがたく甘美な背徳的関係が深みにはまっていましたが、半分は息子との秘密の関係に疑いの目を持たれたくないため、そのために複数の見合いの席に着きました。
最初は仲立ちしてくれた人の顔を立てて誰彼の区別なく一度は相手の人とお会いしましたが、中にはひと回り年下の独身男や70過ぎた自分の亡父にも等しい男を連れてきた者もいてショックでした。
しかも、その70過ぎた男など明らかに私にオンナを見る粘っこい視線を這わせ、自分と一緒になれば一生食うに困らぬ生活を保障するといった言い草でした。
私は、いささか乱暴にいえば、
「こんなスケベじじいに毎晩抱かれるなんて、冗談じゃない」
と内心で思いました。
結局、今日から夫となる彼を選んだのは、約一年間にわたるデイトの最中、彼は一度も私をホテルに誘うなどの下品な行動がいっさいなく、また亡き夫人のことを心から愛していたという誠実さも感じられたからであり、彼になら抱かれてもよい気になったこと、そして直感的に淡白だが性達者な感じがしたからです。
限度を知らぬような息子みたいな激しさでは今後、段々と枯れてゆきたいと願う私にとって困る気がしたのです。

挿入されると思考を停止

息子と初めて肉体をつなげてしまった、しかも五年以上も性から遠ざかっていたせいもあって、天と地が引っくり返ったような衝撃を受けて私は、それ以来堰が決壊して川の水が一気にあふれ出すのに似て息子との濃厚な交わりに惑溺していきました。
性愛というよりも初期はただの肉愛といったほうがよく、その息子とののっぴきならない快楽の海に溺れながら母親の私が、前述したのとは別の理由で再婚を真剣に考えはじめたのは、息子と自分の行く末を考えてのことでした。
現代医学ではおよばなかった父親の死期を悟った息子は、その父親との関係をすべてに優先させようとしたのです。
母親の私がいうと自慢話になってしまいますが、礼儀正しく目上の人間にも折り目正しい息子は、成績が良く優秀だからではなく人間的な器量や性格が近所の人や会社の人たちに評判でした。
そしてもうひとつは、夫と私のよい部分がホド良くミックスされたらしく、両親の顔の部品の良いところばかりが息子に遺伝され、なかなかの男前でした。
当然、昔の同級生や大学時代の女子学生、また現在の職場の女子社員などからも拙宅にずいぶん電話がかかってきても息子は取り合いませんでした。
携帯電話の番号は直属の上司や取引き先の一部の人間など、特別な相手にしか教えておらず、だから女の子たちは拙宅をどうにかして調べるらしいのです。
「おまえ、年ごろなんだから、たまには好きな女の子とデートしておいでな」
「ふふ、好きな女の子なんていないさ。あえていえば、好きな女は母さん……」
「あんなこといって。母さんはおまえに本当に良くしてもらって感謝してるよ。父さんも同じ。だから、ね、たまには自分の好きなこと、デイトとか、ね……」
「分かった。その気になったらそうする」
とまるで気のない返事ばかり。
初めてのあの日、息子は童貞でした。童貞でしたけれども性の知識だけは充分にたくわえていたらしく、最初こそ上手にはできずに不器用でしたけれども、すぐに持ち前の頭の良さと器用さで、他に比べものがないくらい上手になっていったのです。
私が、途中から確かな人による紹介だけに限ってのお見合いに応じ続けたのは、その息子との関係をいずれ清算しなければ息子の将来のしあわせはないと思ったからでした。
と、思いはしたものの、息子が母親の私に与えてくれる世界は日に日に素晴らしく魅力的で、こんなにすてきな世界を私は本当に手放すことができるのかと考えたとき、とうてい自信がありませんでした。
それで、現夫の彼が登場する以前、同い歳と二つ年上の、経済的にも人間的にもしっかりしていて、男としても、まあそこそこのセックスアピールのある候補がいたのですが、思案しはじめてすぐにその思いは崩れてしまったのです。
仕事から帰った息子が、
「母さん、おれもう我慢できない」
と食事もお風呂もあと回しにして私に挑んでくると、そして結局は息子の熱い情熱のこわばりきったものを迎えてしまうと、よくてよくて、それこそ思考停止の状態になるくらい私は息子のあのものに夢中になってしまうからでした。
最初のころは、
「母さんはずっとずっと、父さんを介護していた五年間だけでなく、それ以前から女としての欲求を辛抱していたんだから、おれがうんと楽しませてあげる」
と、それはそれは至れり尽くせりの、かゆいところに手がとどくようなこまやかにして情熱的なサービスを私の肉体にほどこしてくれました。
私、夫が元気だったころには知らなかったおチチ、とくに双つの乳首があんなに感じるなんて、息子に時間をかけてたんねんにしゃぶられてから初めて目ざめたというか、すごく感じちゃうんだってことに気がついたのです。
ううん、おチチだけでなくて、息子は最初のときはどこかで学んだマニュアル通りのことをしていたんだと思いますが、私のからだのあちこちをいろいろと優しく撫ぜたりさすったり、またくちびるや舌でもいろいろしてくれたわけですが、いまでも全然ゼイ肉などなくて、
「母さんのウェスト、キュッとくびれてすごくセクシーだよ」
と息子がよくホメてくれた日焼けもシミもない白い腰のところ、それと両の脇の下、とくになぜか左側のヘアの茂みのある脇の下が敏感で、もちろん右側のほうもとても感じはするんですけど、とくに左腕の付け根の脇の下にくちびると舌をそよがせると、
「ひッ、だめだめえ、そこそこ、弱い、母さん、どーにかなっちゃう、許して」
と、シャックリが出ちゃうくらい感じて、すぐにペニス挿入を自分の口からせがんでしまうありさまです。
そんなふうに脇の下、とくに左側などとくに感じて仕方がないのですけれども、他にもうなじ、そう肩のうしろの首すじもふうーっとなまぬるい息をねっとりと吹きつけられると、もうそれだけで私はジッとしていられないような気持ちになってしまいました。
いえ、なまぬるい息といえば、そう、耳殻というより耳たぶもしゃぶられちゃうとヤなくらいじんじん感じてしまうのですが、あっちもこっちも私が感じるものですから息子がイタズラ半分で私の耳の穴にふう、ふうーってなまあたたかい息を吹き入れたとき、そんなあの強烈な潮吹きじゃありませんけれどもチビちゃいのを私、実際ホントにチョプッと吹きました。
いま白状すると私、他にもお尻の穴にチュされると感じる体になっています。

一晩と置かない三年間続いた肉愛(その2)へ続く

マダムの浮気癖

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