屈強な父に嫉妬した私は母の狂態に理性を失い(その1)

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漁師町の片隅で起きた相姦劇!!

家庭不和が原因の母の異変に、思春期の少年が気付く。そして、隣家の訳アリ夫婦の見せびらかすような交歓劇に我を見失い自慰に狂う母の姿を目撃した。劣情が爆発した日から始まった相姦愛!!

(告白者)
前田浩之(仮名・32歳・団体職員)

漁師の父は絶対的暴君

こんな青白い顔した男は……。父は酒を飲みながら私に毒づいた。
「海の男にはなれねえ」
繰り言のように憎らしげな目をした。小さな入り江を囲む漁師町で、モヤシのいような細い体をした貧弱な少年は、存在意味さえ与えられないというのが、父の価値観なのである。
漁師町では男は海に出るのが当たり前で、勉強ばかりしているのは男として不良品となる。
田舎の漁師町で生まれ育ち、それが当たり前のように漁師となった父には、自分の息子が青白い頬に細い体で、勉強ばかりに熱中していることが耐えられなかったのだろう。
事実、私の周囲には、学校を出てすぐに父親と一緒に漁に出るようになる年上の少年たちが、たくさんいた。
海しかない田舎の小さな漁港だ。男は生みに出て女は家で帰りを待つ。これが常識だった。
だが、私は父を嫌い、海を嫌った。
漁師などには絶対になるものか、と幼心に誓ったものである。
男らしさばかりを口にして、酒を飲んでは母に暴力を振るい、外に愛人までつくっていた暴君のような父と、その後ろにあるすべてのものを否定した。
稼いだ金のほとんどを酒と女遊びに注ぎ込み、家に金も入れない月が度々あった。母は干物をつくって家計を助け、父に文句も言えずに涙した。
「本なんぞ読んでも立派な男にはなれんぞ。そんな青白い顔しやがって、オレの息子だと思うと腹が立つ」
父は部屋で勉強する私を見つけては、忌々しげに吐き捨てた。
私はくちごたえもできなかった。日焼けした頬に太い二の腕、そして厚い胸板が、反抗心さえ萎えさせた。
私は父を軽蔑し、同時にたくましく男らしい父への憧れという裏腹な思いも、胸の奥底に密かに息づかせていた。
小さな漁師町である。中学にもなると、クラスには父と一緒に漁を手伝う少年もたくさんいた。スポーツに熱中する少年もいた。私だけが、青白い頬をして図書館に通っていた。
「前田くん、お父さんのお手伝いしないの? 木元くんなんて、夏休みに入ってから、毎日お爺さんとお父さんの三人で、沖に出てるみたいよ」
夏休みの登校日、同じ町内のクラスメイトの少女にそんなことを言われて、私はしどろもどろになった。
「漁に出ないと男らしくないって言うのかよ」
「いやだ、あたし、そんなこと一言もいってないわ。勝手な想像力ふくらませないでよ」
彼女は口元だけ小さく動かして、ククッと笑った。
口が達者で大人びた物言いをする少女だった。意識してそうしているのはあきらかで、口下手な私はいつも彼女にやりこめられていた。
「つまり、前田くんって、自分のこと、男らしくないって、自分で気にしてるわけね」
「ち、違うよっ」
鋭い指摘に頬が熱くなった。少女がまたククッと笑った。
「あたしはそんなこと、ばからしいと思うわ。男らしいとか女らしいとか、くだらないわ」
鼻をもたげて、達観したように語る彼女の言葉は、まったく擁護には聞こえなかった。
漁に出て、たくましく日焼けするクラスメイトを見るにつけ、私は胸の奥でコンプレックスを噛みしめた。私を役立たずのように言い、酒の勢いで母を殴り、愛人をつくる男らしい暴君に、私は心の奥深いところで、密かに嫉妬していたである。
母はよく泣いていた。父が戻らない深夜、一人で泣いていた。私は母に似ていたのかもしれない。父に文句も言わず、ただ黙って我慢するだけの母だった。私も母と同じく、父には何も言えなかった。
私が中学生になるころには、母はときおり狂ったように泣くことがあった。何かの発作のように、一人で大声を上げて泣く。私が慰めても涙が止まることはなかった。たまに酔って戻った父に、意味もなく暴力を振るわれたときなど、髪をかきむしって泣きわめいた。私の高校進学で担任が家庭訪問に来たときも、母は殴られた。
成績の良い私を誇らしげにしているのが気にくわなかったのか、
「勉強ができても男として役立たずじゃねえか」
と怒鳴り散らした。
止めに入った担任もかまわず殴った。都会から赴任してきた若い担任は、父の丸太のような二の腕の一閃で木の葉のように吹き飛んだ。
母は髪をかきむしって泣いた。泣き声が異常だった。オーン、オーン、と涙に濡れた目を飛び出すほど見開き、土間に転がって獣のように鳴いた。担任は悲鳴を上げて逃げ帰っていった。
そのころから、あきらかに母の様子がおかしくなった。ぼうっとしていたかと思うと、声を上げて泣き出したり、独り言が多くなり、私の呼びかけにも上の空ということも少なくなかった。
そして、空き屋になっていた隣家に、市街地のほうから引っ越してきた訳アリ風の夫婦が引っ越してきたのを境に、目に見えて行動がおかしくなった。
2階の窓から、隣家を母が覗く姿を何度も目にした。母は隣家の夫婦が愛し合っているのを眺めて、何かに憑かれたように自慰をしていたのである。
私は恐ろしい光景を見たような気持になり、部屋に逃げ込んだ。
隣家の夫婦は漁港の町にもかかわらず、漁とは関係のない仕事をしていた。仕事も地元ではなく、市街地のほうで持っていたので、地区の者との交流も挨拶程度だったと記憶している。夫が仕事に出るのも週に数度で、本当に働いていたかどうかも怪しい。
入り江を囲んで段々畑のように家々が高台へと密集している地形で、夏は風が通るので窓を開けていればクーラーを使わなくても涼を取れた。隣家も窓を開けて、庭に面した縁側にはカーテンもなかった。どこの家も似たように開放的な造りの古びた日本家屋だ。
意図してそうしているのか、縁側に面した居間で、真っ昼間から愛し合っている隣家の訳アリ夫婦に、母は目を丸々と見開き、全裸で激しく悶えていた。
お尻を畳の上に落として、正座を崩したような形に両膝を開き、その奥で手に握った異物を自分を責めるように動かしていた。
お尻を浮かしたり沈めたりと体を上下に波打たせて、異物で胎内をほじくる。それはヘアスプレーの缶だったり、ヘアブラシだったりした。
うおおお、うおおお、と切羽詰まった声を出し、白い裸体を汗みどろにして、母は一人で悶えていた。頭がヘンになってしまったのだ、と私は思った。中学生になり、性のイロハくらいの知識はあり、女性がそういうことをすることも知っていた。
母が可哀想に思えるのと同時に、その人格が崩壊したかのような狂態に、無条件で体の奥から妖しい熱気がこみ上げてくるのを感じた。私も中学2年生の多感な時期の少年だった。
異物が母の恥部で音を鳴らしていた。肉が拡がり、掻き回される濡れた音だった。母の裸体は、まだ女の曲線を崩すことなく、美しい線を維持していた。
見てはいけない姿が、ほぼ毎日のように二階の部屋で繰り広げられたのだから、母に挑発されているのも同然だった。
姉はスポーツの特待生で他県の女子高に通っていたので、父が留守にすると、家には私と母の二人だけになる。波と風の音しかしない小さな漁師町で、母の獣的な声だけが雑音のように私の胸を刺激した。

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