息子まで失い
しかし、圭子とのめくるめく逢瀬は長くは続かなかった。圭子が交通事故で急死してしまったからだ。
不幸は重なるもので、間を置かずに息子も急死した。27歳だった。息子は証券会社勤務で、小倉支店に単身赴任していた。東京本社で業務打ち合わせ会議があるので帰京して3日間家に泊まる、そういう電話を受けたのが、私の聞いた息子・卓弥の最後の声だった。土曜日だったので、私は家にいたので、電話に出たのだ。卓弥は月曜から家で寝ると言ったが、その時、愚妻は長年共働きをしているクレジット会社へ出勤して留守だった。
私は卓弥の布団を日に干し、部屋を掃除したりして、2年ぶりに3日間とはいえ家に戻る卓弥を思い浮かべて心が弾んだ。
ふと、机の片隅に何通かの女名前の封書が置いてあるのに目がとまった。野沢英子という名前で、卓弥からはその女性のことは何も聞かされていなかった。何通もあるからには恋人かもしれない。どんな女なんだろうと、封筒を眺めながら興味が湧いた。取引先の会社の女性社員なのか、学生時代から付き合っている相手なのか……。だが、今どき大概の用件は電話で間に合うはずだ。中身をそっと読んでみたい誘惑にかられたが、何とか堪えた。
卓弥は東京へ発つ前夜、同僚たちと酒を飲んでアパートに遅く帰り、煙草を吸いながら、寝る前の一休みをしているうちに居眠りをしてしまった。
火の点いた煙草は灰皿から逸れて、傍らの新聞紙に転げ落ちて引火し、独り暮らしの部屋は煙で充満した。途中で煙にむせた卓弥は嘔吐し、喉がつまり、それが直接の死因の窒息となった。火事の方はすぐに同じアパートの住人が気付いたので、大事には至らなかった。
私たち夫婦は小倉の警察から翌朝急報を受け、九州に飛んで1人息子の変わり果てた姿に呆然となった。
空輸で遺体を引き取り、自宅近くの寺院で通夜、葬式を営んだが、圭子に次いで息子が死んだことで、悲嘆の甚だしい私はずっと悪い夢を見てうなされているような思いで数日を過ごした。
初七日を終えた土曜日だった。愚妻は会社に出て不在だった。
バブルでどこの会社も忙しかった。卓弥も証券会社で土日も厭わずに働いていたようだから、過労で体調を崩し、あの事故を招いたのかもしれない。
電話が鳴ったので受話器を取ると、女の声で野沢英子と名乗った。私は反射的に、卓弥の死去寸前に部屋の掃除をしていた時にチラッと見た、あの何通かの封書を思い出した。
通夜、葬式の時に来てくれたのかもしれないと考えて、香典袋、名刺類を調べたのだが、その女名前は見当たらなかった。電話の野沢英子は、今近くまで伺っているのだが、道順が分からないので教えて欲しいと私に頼んだ。
私は居場所を確かめて英子を迎えに出た。黒いスーツ姿の初めて見る英子は美人で、とても大人しそうな女性だった。家に連れてくると、卓弥の骨箱、遺影の飾られた祭壇の前で香をたきながら肩を震わせて泣いた。
私は卓弥からあなたのことを何も聞いていなかった、と前置きしてそれとなく関係を聞いてみた。
すると、卓弥の東京本社勤務の頃、通勤途中で知り合い、交際していた、通訳をしているので、ここ半年ほどアメリカへ出張中だったが帰国したので小倉に電話を入れてみたところ、急死を知り愕然とした……そう言ったことを泣きながら口にした。
私が生前の卓弥との交際の礼を述べると、さらに英子は泣いた。
1ヵ月ほどして、私は英子とレストランで落ち合った。
卓弥と同じ年くらいかなと思っていたのだが、2つ年長の29歳だと英子は自分から打ち明けた。
私は改めて息子との交際を謝しながら、それとなく2人の性関係を探ってみた。もしセックスしていた間柄だったら、卓弥の霊はせめても慰められ、浮かばれるだろうと勝手ながら考えていたからだ。
食前酒で酔った英子は、
「それはありませんでした。はっきり言って、それだけが今は心残りです。あたしは年上の厚かましさで誘ってみたんですが、卓弥さん、結婚するまではと、とても頑固で……」
と告白して泣きじゃくった。私は心の中で地団駄を踏んだ。
こんな物わかりのいい美人が、そんな風に持ち掛けてくれたにもかかわらず、何故卓弥は抱かなかったんだ、抱いて思う存分、セックスの快楽を堪能しなかったんだ、と無念でならなかった。
「遠回しにですが、手紙にもそういうことを書いて、あたし、卓弥さんにせがんだことも何度かあったんです。でも、却って軽蔑されてしまったのかもしれません」
英子はその時だけ寂しそうに薄く笑った。卓弥の部屋の机の片隅にあったのは、そんな内容の英子の手紙だったのか、と私は納得した。
私はあれ以降も中身は読んでいなかったのだ。卓弥はそうした面では確かに融通のきかぬ堅物だった。
現代の青年らしからぬ性格を多分に持っていた妙な息子だった。そのことが私を悔しがらせた。もう遅い、何もかも、もう取り返しがつかない。もっと好色だったら、親父の俺がこうまで口惜しい思いをすることはなかっただろうに……。
私は英子をバーに誘って一緒に飲み、酔いの力を借りて思い切って言った。
「卓弥が思いを残して逝ったそれを俺にさせてくれないか。一度でいい、頼む。勝手な頼みだってことは重々承知している。殴るなら殴ってくれ。だが俺は死んだ卓弥の気持ちを考えると、居ても立ってもいられなくなるんだ」
「おじさま、まさか、そんな……」
英子は青ざめた顔を何度も横に振った。流していた涙はもう瞳にはなく、代わりに私の方の目からそれはとめどもなく流れた。しばらく黙って考えていた英子は意を決したように言った。
「3日後にお会いします。その時までに真剣に考え抜いて、どちらにするかをご返事します」
私は土下座でもしたい思いをこめて、英子に頭を下げた。
17年も続く関係
3日後に英子は待ち合わせ場所のバーでスコッチの水割りを飲んでいた。私が席に座ると、
「おじさま、強いお酒、うんと飲みません?」
と言った。その一言で私は納得した。
英子は少しも躊躇せずにラブホテルに入った。私は卓弥にせがんでいただけに相当経験があるのかなと疑った。
だが、よく観察すると、うわべだけ強がりを見せているのだった。ブラウスから伸びた腕は初夏の夜風に鳥肌さえ立てていた。
「一緒にシャワーを浴びて。おじさま、あたし、怖いの……」
部屋に入ると、英子はそう囁いた。カマトトぶっているのか、と私はまた疑った。だが、英子は青くなって小刻みに震えていた。
英子の肢体は美しく、とても素晴らしかった。彫刻のように乳房が盛り上がり、四十路だった圭子とは違い、括れた胴から腰回りを通して脚がすらりと伸びていた。
素肌は透き通るように白く、おま○こは濃い痴毛に覆われた奥で肉の亀裂を刻んでいた。
私たちはシャワーのしぶきを浴びながら抱き合った。私を喜びと切なさがごっちゃになって襲ってきた。私はしぶきの中で泣いていた。
「バカ野郎、卓弥。お前は何故こうして英子さんを抱き締めないで死んじまったんだ!」
英子も泣き出した。
「あたしは今、あなたの代わりに、あなたのお父様とこうして抱き合っている。お父様をあなただと思って抱かれているの。いいわよね、他の人じゃないんだから、卓弥さん、許して!」
私たちはひしと抱擁した。英子のプリンプリンとした豊かな乳房が私の胸板に転がって、互いの陰毛は絡み合うほどに密接した。
私はお尻を抱えて性器をこすりつけた。さぞかし卓弥もこうしたかったに違いない。それを無理して意地を張り、結婚まで待てだ、とよくもぬかしたものだ。私はそう思いながらも、実際にそんなことを言ったという卓弥が今となれば哀れでならなかった。
屹立した肉棒はともすればおま○この中にそのまま滑り込みそうになった。
「して、おじさま、ここで一遍して。卓弥さんだって、きっとそうしたかもしれなくてよ」
英子は赤面しながら、小さい声でせがんだ。私はシャワーを止めて、英子の左足を抱きかかえ、少し腰を沈めてから肉棒をのめり込ませた。おま○こはたっぷり蜜液をたぎらせて潤み切っていた。
「いい、おじさま……」
英子は目を細めて快い呻き声を上げた。ジーンと脳天まで痺れていく快感をたっぷり味わっているのか、歪んだ顔の体の両腕が私の背中を掻き寄せた。
「いいわ、卓弥さん……」
英子はわななきながら卓弥の名前を呼ぶと、片足で私と一緒になって腰をクネクネ蠢かし始めた。
私はそんな英子が愛しかった。いつまでも私自身になったり、卓弥になったりして愛し続けたいと思った。
あれから17年が経つ。バブルが弾けて世の中の経済情勢も激変したが、私と英子の関係はずっと保たれている。英子は46歳になったが、誰とも結婚せずにいてくれている。
卓弥の17回忌に香をたいて、位牌に深々と頭を下げた英子を愚妻は何も知らない……。
英子は赤の他人だが、息子の嫁になるはずだった女だ。義理の娘みたいなものである。そういう相手を17年も囲ってきたのだから、私は酷い男だ。しかし、英子は一言だって恨み言を言ったことがない。それどころか、セックス以外の時も「お父さま」と呼んで尽くしてくれるのだ。圭子のことも忘れがたいが、私にとって生涯1人の女は息子の嫁になるはずだった英子だ。