生理が終えたらオンナでなくなるなんて、バカな男の愚劣な偏見。むしろ妊娠の不安から解放され女たちは奔放な性の歓びに出会う
(告白者)
能見代 十枝美(仮名・49歳・地方公務員)
生理が終わってしまった
こんな、もうあと1年もしないで50代の大台に乗ろうかという年令に到って、初めて本格的な女のよろこび、性の歓びを知るなんて、私って女はつくづくオクテだなあって思います。
もっとも、もう何年も前の話になりますけれども、1人息子が大学を卒業し、そのまま東京のテレビ局に就職したころでした。
半年もしないうちに息子が婚約者を家に連れてきて、私に紹介してくれたとき2つ年上でしたけれども、なかなかしっかりしたお嬢さんで、私は、
「ああ、息子は彼女と一緒になって……もうこっちの田舎に帰ってきて暮らす気はないんだな」
と思い、案の定、その年の暮れに挙式して、そのまま東京での新婚生活がスタートしたのですが、嬉しいような淋しいような、いまだからいえますが、美しい彼女に可愛い息子をカッさらわれてしまったような……母親としてか女としてかフクザツなおもいを味わっていたころのことでした。
心のどこかで息子の家族と暮らす夢をあきらめた私が、何か今後の新しい趣味でも見つけようと町内のカルチャーセンターに通いはじめたのです。
そのこの初老の女性教師はすてきにチャーミングで、いつもきれいで清潔にされていて華(はな)がありました。
しがない田舎の町役場の職員をしておる私の生活領域には、なかなかお目にかかれないタイプの女性です。
そのうち、彼女が昔パリに長く留学し一時はフランスの男性と同棲したりしていたという話も耳に入ってきて何か自分の将来の人生に重ねて興味を持ちました。
やがて彼女を囲んでみんな(といっても私も含めて女性。それも中年女性がほとんど)でゆっくり飲んだり食べたりする機会があり、そのとき彼女が私たちに向かって話されたことは、
「みなさん、結婚されているかたも、離婚されて独身のかたも、未亡人も、また独身をつらぬいている私のようなかたもいらっしゃると思いますが」
そこでひと呼吸置いて、彼女は宴会の席の7、8人ばかりの私たちの顔を一人一人眺めてから、
「でもね、女として生まれてきて、恋愛をしなくてはいけませんよ。女はいくつになっても恋する気持ちを捨ててはいけません。よい意味で好きな人の視線を気にすることは大切です」
みんなが熱心に耳を傾けはじめると、
「酔ったからいうわけではありませんが女はね、死ぬまでよ。ふふふ。むしろ、生理が終えてから……そう、妊娠の心配がなくなってから女は本当に率直に正直に、女の歓びを味わうことができるようになるのですからね」
先生が輝やいているのはそういうことだったのかと思いました。
愚かな男どもは、生理がなくなった女たちに向かって、〝上がった〟、つまりもう女じゃなくなったみたいなまことに愚劣な目を向けます。
それは確かに、生殖機能は終了するわけですが、女であることに変わりはないし、ましてや、なにか人間でなくなった……それ以上に、生理が終了するとバケモノみたいな扱いをするとしたら、実に情けない話です。
男の人だって同じです。
むしろスケベなおじいちゃんのほうが精力的だし生気がみなぎって輝いているといえるでしょう。
いくつになっても女にモテたい、チャンスがあれば異性と仲良くなりたいと思って生きている男は、マメだし、モテるためにどうすればよいか、としょっちゅうアタマと体を使っています。
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異性が自分をどう見ているか、そんなの関係ないみたいな感じで生きている男は、定年を迎える前から精彩を欠いています。
そんな男になんの魅力も興奮も女たちは感じません、近づいてなどいくわけがありません。
私はあのときの彼女の言葉を50の大台を前にして、いま再び改めて、今度は身をもって納得しているのです。
今年になって、生理がぴたっとなくなりました。
これで私は、人生がヒト区切りみたいな気持ちになり、ちょっと落ち込んでいたのです。
〝老後〟の生活を、自分のこととして初めて意識した瞬間でした。
夫は真面目だし、私に優しくしてくれるし、外でヘンな女遊びをするような男じゃありません。
いえ、夫は女遊びできる体ではなくなっていたのです。
といいますのは、あれは息子が結婚して新婚生活をスタートさせてからまもなく、夫は趣味の山登りで事故を起こし、その後遺症でインポテンツになってしまったからでした。
絶倫タイプの精力家の夫だったら、妻はこれで心配が消えたと安心するのかもしれませんが、そういう心配とは無縁の私としてみれば、夫のケガの具合が回復してくると、もう夫には抱いてもらえないという淋しさに一時は苦しみました。
でも、一年がかりでなんとか発想の転換をはかり、仕事や仕事以外のボランティア活動などに情熱を傾けるうち、あれも〝馴れ〟ってあるのですね、夫とは、セックス抜きの新たなパートナーシップを築くことに成功しました。
セックスに使う神経とエネルギーと、そして時間を他に振り向ければ、新たな楽しみをたくさん見つけることも可能だと気づいたのです。
しかも、息子が結婚をやけに急いだのは、若い人たちがいうデキちゃった婚で、可愛い孫にも恵まれました。
月に一度か二ヵ月に一度平均で息子は孫を連れてきて顔を見せてくれ、新たな生きがいも加わりました。
しかし、大きくなるにつれ、それは小学校に上がるころから、お友達ができたからでしょう、孫もおじいちゃんやおばあちゃんと遊ぶよりお友達と遊ぶほうが楽しくなったからでしょう、段々と姿を見せなくなりました。
そして迎えた私の生理のピリオド……。
頭では、「これからよ」と思うものの、やはり一抹の淋しさを感じないわけにはいきませんでした。
エンジニアーをしている夫が技術指導で海外へ二週間ほど出張するのが決まったのが、ちょうどこのころでした。
いっそ私も夫と一緒に行こうかと思いましたが、仕事をしている夫の横で旅行気分を楽しむのも申訳ないし、食事や現地の習慣その他でかえってグッタリ疲れてしまうだろうと考え、やめました。
それで、たまっている有給休暇を一週間だけ利用して気楽に温泉旅行でもしてリフレッシュを楽しんだりしようかと考えていたところ、息子が急に一人でしばらく帰省することになったのです。
そのことが、まさか息子と母の、誰にもいえないのっぴきならない、ただれた関係にエスカレートする始まりだったとは私も息子も考えてもみませんでした。