アナル噴流を愛児に浴びせる変態ママは(その2)

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アナル噴流を愛児に浴びせる変態ママは(その1)

アナルを開発され

それからというもの、息子をつれてうっかりプールにもいけないわたしですが、羞かしさといえば、なんといってもエネマでしょうか。
なにしろ夫がわたしの脱糞シーンの大ファンで、お羞かしいのですがふたりの馴初めもお浣腸なのです。
実は今の夫はふたり目で、学生時代に知りあった最初の夫からSMを教わり、その後、わたしは結婚しました。永年の交際で様々な羞恥を味わい、若かったわたしは『こんな躰にされてしまって、もうほかのひととなんて結婚できない。このひとと一緒になるしかないんだわ』と思ってしまったのです。
もちろん、それで幸せでした。ところが、ニフティというインターネットのチャットで元夫と今の夫が親しくなり、わたしは貸出し妻にされたのです。
羞かしいことに目がないわたしでも、見ず知らずの男にと思うと乗り気になれません。赤坂のホテルにつれていかれるまでは、いつ逃げようかと、そればかり……。
運命の出逢いというと乙女チックで面映いのですが、厭々逢うとその言葉にぴったりの男性でした。
紳士的でチャーミング。そのくせ、はじめて逢った日に千㏄もの希釈グリセリンをわたしに注ぎ、全裸でホテルのコリドーを疾走させるほど残酷で冷淡。こんな大胆なことが平気でできるだなんてなんて素敵なのと感じ、このひととなら愉しくてスリリングな人生を歩めると確信してしまったのです。
その夫のDNAを受け継いでいるのが卓磨ですが、アナルに執着してドジョウや蛙をいれたがるのは、幼少のころにエネマのシーンを見せ過ぎたからかもしれません。
毎回、お腹がパンパンになるまで、一週間でも溜めこまされ、やっとグリセリンで解放されるのですから、息子にとってその光景ははなはだ凄惨だったと思います。でも、それくらいで満足できる夫ではないのです。
「……うう、もう、でないわあ……」
最後の最後まで搾りきると、また注がれ、何度噴出したことか。
でてくるものが清廉な水になるまで繰り返されるとアナルもひりついて、もう、おわりだろうと思っていると、最後の一本だ、とお尻のうしろから声がかかって、ノズルがぶすりと挿しこまれました。
「……んあうう、ああう、ああう……」
体感ではたぶん千㏄くらいでしょうか。アナルをぎゅっと締めて、お許しの声を待っていると、夫がなにかをいれているのです。
振りむいてお尻を見ると、一本の細いビニールホースがお尻から生えています。
でも、目的がわかりません。いったいなにするつもりかしら、と思っていると、おい、卓磨、こっち来い。ママがおいしいコーヒー牛乳、ご馳走してくれるってさ、と夫が息子に呼びかけ、わたしは待ちうける苦難を思うと、目の前が真っ暗になりました。
「……う、あうう、つ、つらいわ」
「どうだ、旨いか?」
「ん。んまい。おいちいけど、んまい」
「おいしいってさ。もうちょっと多めに飲ませてやれよ」
自分の息子によく、こんなことできるわね、と呆れてみても、そんなところに惚れたのですから今更、文句も云えません。それにしても絞め加減が難しすぎて……。
お腹はとっくに限界を超えていて、ぐるぐると噴出寸前なのに、絞めすぎれば卓磨が吸えなくなって、コーヒー牛乳は減りません。
反対に弛めすぎるとホースそのものを噴き飛ばし、奔流が息子を直撃するのは明らかなのです。くわえて、時がたてばたつほど、牛乳にほかのものが混じる怖れもありました。
「……あ、あなた、もう、ダメ、かも……う、むむむ、う、むむむ……」
「俺に云うなって」
「んむむ、た、たーチャン、もう、いっぱい、飲んだ、でしょ」
ひくつくアナルをぎゅうっと絞め、もう終りだからね、と云った瞬間でした。息子はビュンとホースを抜いてしまったのです。
「ひゃうっ! あああ、ダメっ、たーチャン、逃げてっ、逃げなさいっ」
四つん這いで躰を固定されているわたしは、お尻もよじれません。最初の一撃をジュバっと息子に与えると、そのままシャーっと一条の流れを浴びせつづけたのです。
ところが、息子はお喜び。全身、コーヒー牛乳だらけで、きゃっきゃきゃっきゃと笑っているのです。
息子に気にいられてしまったせいで、わたしは下痢止めを服まされてはお浣腸をかけられ、ヤクルトからキリンレモンまで、卓磨が飲みたがるものを飲まさなければならなくなりました。
親子三人のSMごっこは息子が七歳になるころまで続いたでしょうか。そのころになると、当然ながら卓磨は卓磨でひとりの人格をもつようになり、わたしたちの都合では動いてくれなくなっていました。
おま○こやアナルに石ころやビー玉をいれては、わたしの反応を観察しているのです。
これはよくないと思って夫に相談していた矢先、おま○こに腕を填められてしまうということがあり、引き離さなければと思い、決断したのです。
息子にとっては、これほど理不尽なことはなかったのでしょう。
因果は先のドジョウなどのオイタという形になって顕れました。その後、オイタは永く続くのですが、わたしにだけならと、夫にも内緒で許してきたのです。
ところが、蛙娘のような被害者がでてくると話は変わってきます。この先、新聞沙汰になるようなことをしでかすかもと思うと、心配でならないのです。
もちろん、卓磨の前途が一番、気になります。でも、わたしはわたしの将来も心配でした。
仕事柄、流通系メディアに載ることが多いわたしですが、ポジション的に社内での競争は熾烈で、ちょっとしたスキャンダルが命取りになりかねません。
後釜を狙っている輩は掃いて棄てるほどいるのです。息子が不祥事でも起こせば即座に社を追われ、一巻の終りというわけです。
「だから、どうしろっていうのさ」
「今後、絶対にほかの女の子に変なことしないって約束してくれれば……」
「れば?」
「……ママの躰、自由にしていいわ」

変態DNA

時々、卓磨って凄いと思うことがあります。先日のカフェでもそうでした。
「どう? イけそうなんじゃない?」
「……うっふ、ふう……う、うう」
ノースリーブのワンピースからでている腕には手首、二の腕と縄目の痕が残っていて、わたしはその腕でティーカップを持っていました。
「ほら、斜めうしろのひとも見てるよ」
露わな脚にも腿や足首に、そして首にも縄目をつけたまま。縄目でSMを連想できるひとなら、一目でわたしの性癖を見破るでしょう。
自由にしていいと云ってから一年。卓磨は未だ母の躰の中にはいっていません。
いいと云った言葉の裏には、息子と繋がりたいという願望が秘められていました。卓磨はそれを見透かし、おま○こやアナルに侵入しないことでわたしを陵辱し、わざわざ縄目がつくよう縛ると解いて、衆人のもとでさらさせ、わたしを喘がすのです。
「……う、うう、んっ、んっふ……」
「あのおんなも気づいたみたいだ」
往くという言葉は使えません。指も禁じられています。ひたすら腿をきつく閉じ、二枚の陰唇をすりあわせながら昇りつめていくのです。
「んぐっ、んっ……んんんっ!……」
すべてを封じられても、絶頂の瞬間はからだが小刻みに震え、肌からは湿気が噴きます。悟られないようにわずかに仰け反りながら、震えの収まりを待って、わたしは往きおえるのです。
「どうだった? よかった?」
果てた直後に訊かれても、未だ動悸も醒めず内腿も攣ったまま、焦点のぼやけた瞳で息子を見返すのがやっとで、まともに返事もでません。
鞭ぃ、鞭ぃとはしゃぎ、アナルにビー玉を次々といれてはわたしを困らせていた息子が、こんなプレイで辱めてくれるのですから、時の流れは早いものです。
わたしもその分、齢を重ねたわけですが、息子と腕組みしながら街を歩けば、ときおり吹きおりるビル風にシフォンのスカートが舞いあがって、無毛の恥丘はまる見えに……。
そのたびにおま○こは可愛く、きゃ、とわななき、息子の腕をヒシと抱き締めながらわたしはおんなの幸せをかみしめているのです。
こんな卓磨とわたしですが、息子はやっと十七歳。蛙娘を思いだすと前途多難ですが、なんとかわたしの代わりになれるひとを見つけて、変態ぽくても暖かな家庭をと願ってやみません。
わたしは役員会議の席に座れるまでに未だ二段の階段を残していますが、平均睡眠四時間で日々、奮闘しています。それまでは躰を張って息子を満足させ、けっして間違いは起こさせないつもりなのです。

マダムの浮気癖

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