女みたいな私は母の執拗な責めに悶絶した…(その1)

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鬼母に6年間も奴隷扱いされて

中学1年から高校を卒業するまでの6年間、私は異常に性欲が強い母の性具だった。逃げ出したこともあったが、母との関係は止むことがなかった。しかし、その母も今は認知症を患い……。

(告白者)
沢木茂樹(仮名・48歳・会社員)

母にアナルを犯された

もう30年以上も前のことだから、時効だと思って、母とのことを記すことにしました。当時の私は母の奴隷でした。いえ、奴隷以下の性具でした。
私は子供の頃からキャシャで小柄でした。オンナ男と呼ばれ、いじめられることも度々でした。中学に入学しても髭は生えず、女よりも女らしい顔と体付きをしていました。と言って、自分のことを女と思い込む性同一障害ではありませんでした。見た目が女っぽかっただけで、心は男でした。
しかし、私は異常に気が弱かったので、自己主張をしたことは一度もありません。そんな私を母は歯痒く思っていました。
「なんなのよ、中学生にもなって、泣いたりして。しゃんとしなさい。あんた、男でしょ。チンチン、付いてるんでしょ。しゃんとしなさい!」
私がいじめられて帰宅すると、そう怒鳴り散らし、時には平手で私の頬を殴ったりもしました。そして、とうとう私のズボンにも手をかけたのです。
「ホントにチンチンが付いてるのか、確かめないとね」
「お母さん、やめてよ」
逃げようとしても無駄な抵抗でした。中1の時、私は150センチしかなかったし、体重も40キロ未満でした。対して母は168センチの大女でした。
母は私の裸にすると、下腹部をまじまじと見つめました。
「ホント、ちっこいのね。それに毛もほとんど生えてないじゃない。でも、こうすればどうかしら」
母は肉棒を握りこすりました。
「お母さん、や、やめてよ」
母はやめませんでした。それどころか、肉棒を口に含んだのです。
「お母さん、汚いよ、汚いからやめてよ。ダメ、ダメ。あ、あっ!」
私がいくら叫んでも、母の舌の動きは止まりませんでした。
「ほら、大きくなって来たじゃない。女みたいな顔をしてても、あんた、やっぱり男なのよ」
確かに私の肉棒は張ち切れんばかりに膨張していました。
母はそんな私を嘲笑うかのように、フェラを続け、それからパンティを脱ぎ、馬乗りになりました。一瞬、肉棒が火傷したかと思いました。母の膣内はそれほど煮えたぎっていたのです。
「茂樹、いいでしょう。お母さんのおま○こ、気持ちいいでしょう。でも、こんなのは序の口だよ。もっともっと気持ちよくしてあげるよ」
母はそう宣言すると、腰を揺すりながら、身体を曲げ、私の乳首を吸ったのです。全身をおぞましい快感が駆けめぐりました。
「お母さん、ダメだよ。ダメだって」
それでも母は乳首を吸うのをやめませんでした。
「ああ、ダメだよ。お母さん、出ちゃう。出ちゃうよ!」
その日、私は生まれて初めて女性の体内に精を放ったのです。
父と別居中で、私たち母子は2人で暮らしていたので、母は誰はばかることなく、欲望の牙を私に向けてきました。しかし、母は半年もしないうちに普通のセックスに飽きてしまい、私を奴隷扱いし始めたのです。
「茂樹、あんたは精液を出すことのできる立派な男だけど、その顔はどう見たって女よ。お母さん、あんたの顔を見ると、いじめたくなっちゃうのよ」
母親とも思えないことを言い出し、私を四つん這いにし、アナルを責めて来たのです。
「今日からは私が男で、あんたは女よ。でも、あんたにはおま○こがないから、アナルをいじめることにしたの」
母はバイブを使って私のアナルを攻撃しました。
「あふ、あふ、あっー。イタ、痛い、痛いって、お母さん、酷いよ、こんなの、絶対おかしいよ!」
しかし、母は攻撃の手をゆるめませんでした。
「ダメだって、お母さん、お尻の穴、壊れちゃうって!」
アナルの入り口がビリッと裂けたような感じがして激痛が走りました。
母はアナル責めをやめると、私を風呂場に連れてゆき、浣腸しました。私をいじめるために用意したのか、注射器型の太い浣腸器を2本も打ち込んだのです。だから、すぐ腹が鳴り出しました。
「ああーん、出る、出る。ああーん、ホントに出ちゃうよーッ!」
浣腸液でふくれたお腹をユサユサとゆすぶられると、激しい便意が襲って来て、身体中から汗が吹き出しました。震えも止まらなくなってしまいました。
苦しくて絶叫する私の口に母はバイブを押し込み、お腹を揉み続けました。耐えられるものではありません。母の腕に支えられてトイレになだれ込みました。
こんなことを繰り返しやられているうちに、私はアナルの感じる身体になってしまいました。
母は私以外の男を調教したことがあると言っていたから、馴れていました。
バイブと浣腸で広がったアナルにオイルでヌルヌルになった母の指が出たり入ったりして、滑りがよくなったところで、アナル専用のバイブを挿入。
この頃になると、もう痛くないけど、指よりもずっと太いバイブをガンガン打ちつけられるので、腸の壁を通して震動が腹部にも響くのです。
それが何とも言えないほど快感で……。
「お母さん、ああ、いいよ。お尻だけじゃなくお腹にも響いているの。あ、ああ、ああーん!」
絶叫しながら、母を見上げました。母の下腹部にはペニスが突き出ていました。母はペニスバンドを腰に巻いていたのです。
「あんた、これが欲しいんでしょ。これ、お尻に欲しいんでしょ?」
「欲しい。お母さんのチンチン、お尻に欲しいよ!」
私が絶叫すると、母はバックからペニスを挿入し、私の腸の中をかき回すみたいにズンズン突きました
「ああ、そこ、そこ。そこが気持ちいい。凄く気持ちいい! あ、あーッ、いい、いいーッ!!」
なんて叫んでいるうちに、一気にグワーンと大波に飲まれたみたいに快感が全身を駆けめぐり、射精してしまうのです。
「なんで私より先にイッちゃうの。このバカ息子。ううん、このバカ女。堪え性のない女にはお仕置きをしなければね」
母は私のお尻を両手でバシバシと叩きました。その痛みに耐えられなくなって悲鳴を上げると、再びペニスバンドを一気に突き刺してきました。
「ああ、ダメーッ!」
「何、悲鳴を上げてるのよ。このペニスで突かれて一杯射精したくせに」
母はペニバンで私を責め立て、最後はペニバンを解き、おま○こを差し出して来ました。
「あんたばっか、気持ちよくなってんじゃないわよ。さあ、今度は私の中に入れるのよ。そのチンチン、お母さんのおま○こに入れるのよ」
入れると、母は下から私をきつく抱き締め、
「入れてるだけじゃダメでしょ。突きなさいよ。私がいいって言うまで突くのよ。さあ、突いて。ああ、いいわ。その調子よ。いいわ、その調子……」
母はその後、私の上になって腰を振り立てました。大女の母が小柄な私の上になると、まるで犯されてるかのような錯覚に陥ってしまうのです。いえ、あれは間違いなくレイプでした。私も快感に溺れていたことは確かですが、母は私を奴隷扱いし、アナルを犯し、さらにおま○こでも私を犯していたのです。
そして、その地獄の日々はすぐには終わりませんでした。中学1年から高校を卒業するまでの6年にも渡って続いたのです。

女みたいな私は母の執拗な責めに悶絶した…(その2)へ続く

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