父娘相姦の娘が自殺した事を乗り越えるために私は…(その2)

今すぐ過激なテレホンSEX

父娘相姦の娘が自殺した事を乗り越えるために私は…(その1)

『父さんのチンチンって凄い。別れた彼氏のとは全然違うわ』
娘は僕のペニスがいたく気に入ったようで、舐めては見つめるという行為をしばらく繰り返しました。
僕は娘のなすがままになっていたけど、ペニスは僕の意思とは関係なく腹に付くほど勃起してしまい、立っているのが辛くなってしまいました。
『凄い。こんなに固くなってる』
そう言うと、娘は再びしゃぶり始め、それから僕をベッドに押し倒しました。
『そんなに強くしゃぶると、口の中に出しちゃうぞ』
『いいの。出して。飲んであげる』
娘の言葉に甘えて口内発射することにしました。
僕が娘の肩を叩くと、娘はしっかりとペニスを咥え、一滴も残さずザーメンを飲み干してしまいました。そして、娘はすぐにでもやりたそうな顔で僕を見つめました。
しかし即再戦は無理なので、シャワーを浴びてから2回戦に挑みました。娘は再びペニスを咥えようとしましたが、僕をそれを制し、娘のマ○コに顔を埋めました。すると、愛らしい声でこう呻きました。
『いや、ダメ、ダメよ。恥ずかしいからやめて。ホントにやめて』
10分近く舐め続けると、娘のマ○コは淫液でたっぷりと潤い、よがり声も切迫したものになっていました。屈曲位のスタイルでドッキングすると、
『父さんのオチンチン入ってる!』
その声に刺激されてメチャメチャに突きまくると、
『ダメダメ、イッちゃうからダメ!』
と絶叫し、本当にイッてしまったんです。僕はぐったりした娘の身体をバックスタイルにして再びピストンを始めました。しばらく腰を動かし続けると、
『あん、いい。いいわ。またよくなってきちゃった』
とよがり出し、
『いいわ、父さんのチンチンが子宮に当たってる。あ、凄い。マ○コが、マ○コが気持ちいいの!』
とヒワイ語を口走りました。
『チンポ、いいのかい。こんなチンポが欲しかったのかい?』
『そうよ。父さんのが欲しかったの。ああ、イッてもいいでしょ? イッちゃう!!』
娘は2度目の絶頂に達してしまったんです。ほとんど同時に僕も娘の背中に発射してしまいました。しかし、それで終わったわけじゃありません
『ねぇ、もう1回して』
と娘が迫ってきて、ザーメンまみれのペニスを口に含み、さらにタマタマからアナルにまで舌を這わせてきたんです。そこまでされたら、僕も後に引けないから、3度目にチャレンジしました。これで僕と娘は完全に父娘でなくなり、恋人同士になったんです。でも、今は関係してません。1年前、娘は突然蒸発してしまったんです。今も全く消息が不明なんです」
もう1人の女性の祥子さんは44歳で母子相姦の体験者でした。彼女の話は篠原君の逆ヴァージョンと言った感じなので、割愛します。
その夜、最後の話し手は私でした。自分で言うのも変な話ですが、私みたいな酷い父親はいないでしょう。
娘との関係が始まったのは22年前(今からだと23年前)、私が44歳で、娘が20歳の時でした。その1年前に女房が急死し、悶々としていた私が強引に関係を迫り、以来、3年以上もの間、娘を愛人にしてセックス処理を続けていたのです。しかし、無理矢理関係を続けていたわけじゃありません。娘も私とセックスすることを望んでいたのです。
「父さん以外の男の人とセックスするなんて考えられない」
セックスするたびにそう言うんですから、意志の弱い私は娘との関係を止めることができなくなってしまったのです。
最初の時、娘は私の勃起棒を目にして絶叫しました。
「バカ、やめて。父さん、人でなしになってしまうわよ!」
なんとかねじ込むことができましたが、娘は泣き声を上げ続けました。
「バカ、バカ!」
泣きじゃくる娘に私は物凄く高ぶってしまい、呆気なく暴発してしまったのです。結局、3発やったんですが、娘は最後まで歓喜の声を漏らすことはありませんでした。それにしても、当時の私は若かった。来る日も来る日も飽くことなく娘の身体を求め、1ヶ月で40発以上は射精していたのです。それを受け入れた娘も娘ですが、悪いのは私に決まっています。
しかし半年後には私も娘もすっかり変わってしまいました。娘の狂態を見るにつけ、女という生き物の浅ましさを感じざるを得ませんでした。半年前、私の勃起棒を目にして悲鳴を上げた娘が嬌声を上げてしゃぶり付いてくるのだから、飽いた口が塞がりませんでした。
とはいえ、娘をそんな貪欲な女にしたのは私なんですから、いい加減にしろと怒鳴りつけることはできません。
こんな風に言うと、その当時の私は娘に仕えるオス犬みたいに思う人がいるかもしれないが、実際はそうではありません。逆だったのです。娘の旺盛な性欲を充たすためにバイブを使ってみたところ、娘がいつにも増して悶えまくったので、以後、様々なSMグッズを使い、娘を嬲り続けたんですから。
変態行為を重ねて行くうちに、娘はいつしかマゾの快感に目覚め、ノーマルなセックスでは感じない身体になってしまいました。
マゾ奴隷はご主人様の命令には絶対服従です。娘も私の命令に逆らいませんでした。
「俺の前でオナニーしてみろ。恥ずかしい姿を撮ってやる」
カメラを構えると、娘は下半身を私の方に向けました。おま○こはぐちょ濡れになっていました。そこに私の勃起棒よりぶっといバイブを突き刺し、指をアナルにあてがって悶え始めたのです
「撮ってる? 私の恥ずかしい姿、撮ってる?」
「撮ってるぞ、おま○こ」
娘は、バイブを突き刺したまま、アナルに指を挿入した。
「お尻も気持ちいい。ビリビリ痺れるの。で、でも、もっとぶっといのが欲しい。ぶっといチンポが欲しいの!」
私を挑発するかのように、そう絶叫したのです。あの時の娘の痴態は今も私の瞼の裏に焼き付いて忘れることができません。
私が語り終えると、祥子さんが「今、娘さんは?」と問い掛けてきました。
「娘は私と関係してから4年後に死にました。首を吊って自殺したんです」
遺書はありませんでしたが、娘が自殺したのは、私とのことが原因に決まっています。関係を続けているうちに徐々に精神を病み、躁と鬱の間を行き来し、発作的に首を吊ってしまったのだと思います。
それはともかく、その夜からひと月に1回、私たちは別荘に集い、百物語を続けています。5人が12回話したので、すでに60話に達しました。
百物語は百話語り終えると、本物の妖怪が現れることになっていますが、私たちの百物語は50話を終えた頃に異変が起きました。事もあろうに、私と23歳の敦子さんが関係を持ってしまったのです。
事の成りゆきはこうです。敦子さんが相談があると私に連絡してきたのです。行きつけのレストランで食事をしながら、敦子さんの話を聞きました。
「村井さんがしつこく連絡してくるんです。個人的に逢いたいって。私に蒸発した娘さんの面影を求めているみたいなんです。でも私は……」
「村井さんには興味がない?」
「はい。父との関係を断ち切ってまで、村井さんとは……」
「お父さんとの関係、止めたいと思ってるんですか?」
「はい。そろそろ止めないと、父が死ぬまで続いてしまうような気がして……」
「そういうことなら、僕ならどうですか?」
私は思い切って告白してみました。私も敦子さんに死んだ娘の面影を感じていたからです。
「佐伯さん……」
「私みたいなオジンじゃダメですか?」
「年は関係ありません」
「じゃ……」
敦子さんも同じ気持ちでした。その夜、私は敦子さんを自宅に連れて帰りベッドに組み敷きました。敦子さんは私のペニスを受け止めながら、「本当に私でいいんですか」と何度も口走りました。良いも悪いもありません。私みたいなジジイにとって、敦子さんのボディは贅沢の極みでした。
「この年になって、あなたみたいな女性とセックス出来るなんて……ああ、最高だ」
「娘さんのことを思い出したんじゃないですか?」
「娘は関係ない。敦子さん、私は貴方に惚れてるんだ」
「ああ、嬉しい」
敦子さんは私と関係するようになってから、父親との関係を断っているみたいです。
「もう父とはセックスしないつもりです。父はまだ私に未練があるみたいで、求めてくるんですが、きっぱり断っています」
「でも、一緒に住んでいると何かと大変だよ」
「近いうちに家を出ます」
「なら、私の家に来ればいい。一緒に住もう。いや、結婚しよう」
敦子さんは私のプロポーズにはっきりした返事はしませんでしたが、脈はありそうです。40歳以上も離れているけれど、そういう夫婦はいくらでもいます。
今の私の悩みは百物語をどうして切り上げるかということだけです。

マダムの浮気癖

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